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推しは所詮、ドーナツの穴である仮説

ドーナツって言われたら、どんなものを思い浮かべますか?
穴の開いてる、あれ、ですよね。
そういえば、どうして穴が空いてるんだろうと、考えたことはありませんか?
でもそれを考えだしたらきりがないので、ここでは割愛します。

さらにつっこめば、穴の開いてないドーナツもあります。あんドーナツとか。
でも今はそれも無視します。

少なくともここでは、ドーナツとは穴の開いてるお菓子ということにしておいてください。

ドーナツの穴って、空洞ですよね。あれをメガネみたいに覗いたことのない子どもっているんでしょうか。ああやって遊べるから、みんな子どものうちにドーナツが好きになるんです。
ドーナツの穴は空洞なのに、「ドーナツの穴」という名前をもらって、存在が認識されています。
不思議じゃないですか?実在はないのに。

逆に、ドーナツそのものは、穴があるからドーナツだって認識されるんです。(外国人にあんドーナツを見せて、これドーナツだよって言っても、たぶん分かってもらえないと思います。)

ドーナツとは、穴が空いている揚げ菓子。
穴が空いてるからこそ、ドーナツとして認められているんです。

一方ドーナツの穴は、ドーナツの可食部分によって、円形に空間が切り取られているから、「ドーナツの穴」であることができるんです。

勘のいい方はここまで言えばお分かりかもしれません。

要するに、
ドーナツの可食部分は、推し活している「ファン」です。
そして、ドーナツの穴は「推し本人」です。

何が言いたいかというと、推し活の対象になっているアイドルや俳優というのは、本当は実体のない存在で、ファンという存在によって作り上げられている存在なのではないかということです。

ファンは、主に映像やSNSによって、「推し」を見ています。
これらの情報は、見る人によって上手に取捨選択されています。

あのドラマの役が好き、あの歌のダンス姿が好きなど、ファンは自分の好みに応じて自由自在に情報を選択することができます。
そして、その情報の取捨選択には、少なからず自分のリアルな体験がかかわっています。
初恋の人にしぐさが似てるとか、好きな漫画の登場人物みたいに背が高いとか、何かしらリアルな生活の中で作り上げられてきた理想に「推し」を引き合わせて好きになっているんです。

こうやって十人十色の「推し」像が作り上げられていきます。

次の段階として、個人の体験である「推し」への恋心は、ファン同士で共有されていきます。
SNSでお互いをフォローし合い、「推し」本人のIG投稿のリポストを繰り返し、それにいいねやコメントをすることで、コミュニケーションを図っていきます。
もし明日、インスタやXがなくなったら、同じテンションで推し活していられるファンはどれくらいいるんでしょうか。それ程推し活ではSNSが大きな役割を果たしています。

ファンミーティングを開くようなスターが、特定のファンの投稿に言及したり、ファンとフォローし合ったりということは、ほぼゼロだと言っていいでしょう。もしそんなことがあったら、直ちに晒されて、特定のファンにあらぬ影響が及びます。だから、そんなことは絶対にしないのです。

ファンはそれを分かってはいても、「もしかしたら読んでくれるんじゃないか」とか「自分の投稿を見てもらえるんじゃないか」とか、淡い期待を抱いてファンアカウントを運営したり、コメントを書いたりしています。

そして、ファンミーティングともなれば大変です。
現人神が降臨してくるわけですから、みんなこぞって参拝に出かけます。(チケットが当たればですけど)

そして「推し」の写真を貼ったお土産をたくさん作って、日ごろ恋心を分かち合っているファン友達とプレゼント交換します。
(以前からなんでみんなかばんが大きいんだろうと思っていたけど、交換用のお土産が入ってたんですね。)

そして、ファンミの後は「推し」ゆかりのお店で打ち上げ!

その楽しそうなこと。同じ「推し」を持つ者同士の交流は、それはそれは楽しそうです。(経済的な理由でファンミに参加できない私は、指をくわえてSNSでその様子を見ています。)

興味深いのは、ファンミで「推し」本人に会うことよりも、ファン同士の交流の方が楽しそうに見えることです。

皆さん、ファンミの後は少なからず「推しロス」に陥っていらっしゃるんですよ。「楽しかった!」「最高!」と一瞬思う反面、「また早く会いたい」、「もっと長く見ていたかった」など、寂しいロスコメントが続出しています。

そりゃあそうです。何か月も待って待って、緊張しながら当日会場に行って、やっと目の前に現れてくれたと思ったら、コンサートで2時間弱、ラッキーな人のハイタッチで数秒。そしてまた雲の中に戻ってしまうんですから、「もっともっと」と求めてしまって当たり前です。

寂しさは、本当にひとりの時には感じないんですよ。
求めても得られないものがある時に、感じるんです。

雲隠れする「推し」に比べて、ファン友はいつでもつながっていられますから、そこに寂しさはないんです。(めんどくさい人間関係は除いて)

だから、ファンはファン同士でどんどん結束を固めていきます。
そしてドーナツ型の円形になっていくんです。

そしてその真ん中にはぽかっと穴が空いています。
ファンの結束によって、存在が約束された穴が。
その穴から、ファンは今日も夢を覗いています。




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