
危険は現実に存在する
サブ女性は、ある意味、男の浪漫を実現させてくれる存在ではあるのだけど、その一方で危うさもある。
いわゆる「搾取」と言われる、割食わされるケースもあり、苦しんだり悲しんでる従者さんも多い。
自分が主従論を考察するきっかけになったのが、まさにこの問題だった。
サブ女性の「主が喜んでくれるのが私の喜び」は、ドミ男が節度ある人なら上手く良いのだけど、そうじゃない場合、ただただ忍従を強いられる。そんな主、捨てちゃえばいいのに、と第三者は思うのだけど、いわゆる「沼らせられ」てしまうと、そうも行かない。 そうなってくると、もはや主従でなくなってる。それはもはや、苦役、隷従である。
自分が見て来たので酷かったのは、
・散々加虐されて、障害負って、捨てられた
・他に女がいて、笑い物にされてた
・緊縛事故で逃げられた
・お金巻き上げられた
いずれにしても、普通の恋愛なら大問題になるのが、従者さんは耐え忍んでしまってるケースが多かった。
これはもう、「主の喜びが自分の喜び」を悪用した結果なんだと思う。悪用する奴が悪いのは言うまでもないが、甘んじる方もよろしくない。 性的嗜好は楽しむ為に行使するもので、各人には守るべき人権と尊厳があるのを、サブ女性も自覚する必要がある。そうあって、主従は正常に機能する。
そこで常々自分が主張するのは、主従関係の本来の在り方だ。忠誠義務違反は言うに及ばず、利害の対立があれば、主従はサブドミいずれからも、自動的に解消される性格のものだった。 この事を知っておくだけで、サブ女性の苦痛は、かなり軽減されると思う。

恋愛は創作物だという。SMも主従もそうだと思う。つまり、理想という訳だ。 なのに自分はずっと、現実的なポストばかりしている。
しかし、注意喚起や警鐘は、現実の物なので、現実的に書く以外にないんだよね。 ただ、理想を含めるとしたら、こうした言葉が合うかな
「危険は現実に存在するが、恐怖は心の中にしか存在しない」
(映画『アフターアース』)