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映画『グラフィティ・グラフィティ!』レビュー

【30分に凝縮された青春の悩みや迷いと老境の焦りや怒りのぶつかり合い】

 『オーバーライト―ブリストルのゴースト―』(電撃文庫)という、グラフィティがテーマとなったライトノベルを読んでいて、その作者の池田明季哉がコメントを寄せていたこともあって興味を抱いて、松尾豪監督の『グラフィティ・グラフィティ!』という短編映画を見に行く。

 タイトルのとおりにグラフィティについての物語。ヒップホップにかぶれた同級生の男子が、寂れた商店街のシャッターにさあグラフィティを書くぞと意気込みつつも尻込みしたところを誘われ、少女が手にスプレーを持って書いたグラフィティがなかなかだったものの、そのシャッターが開いたところにある商店のジジイは最初は憤って上から消すものの、少女は被せるようにまた書いてはジジイから0点だとか罰点と書かれるやりとりが始まった。

 その先、直面する進路といった問題に悩む少女と、寂れる商店街の中で厳しくなる経営に沈むジジイといった、それぞれの問題が浮上。夏から秋を経て冬へと時間が流れそして終わりを迎えそうになった時、浮かぶ相手への思いが爆発する。わずか30分ほどの短編でありながら、1時間くらいの映画を見ているような感じになったのは、そこに経過する時間とともに変化していく心情が、変わっていく風景や鳴り響く音などと共にしっかりと感じとれたからだろう。

 その上で、自分だったらどうしただろうか、長いものに巻かれるように、強い流れに流されるように進学して就職してといった人生を歩んだだろうか、それとも本当にやりたいことのために走り出しただろうかといったことを考えさせられる映画。もっとも自分は、どちらかといえばジジイに近い立場。最初は怒り、奮い、悲しみ、そして喜ぶ姿を見るに付け、若い人たちを支えていきたいと感じた。自分がやり残したという思いを、これからの人たちが迷惑がらずに受け取って、突っ走っていって欲しいと思った。

 ちなみにグラフィティは犯罪行為で、表現の行為として真正面から讃えられるものではない。バンクシーが褒めそやされているといっても、それはメッセージがワールドワイドに知れ渡って注目を集める中、作品オークションで高額で取引されたりもして文化の領域に入っているから。普通のグラフィティはただの落書きと見なされる。もっとも『グラフィティ・グラフィティ!』のような場合は、お互いが求めているのだから構わないのではとも思えた。それでもやはり犯罪行為だからこそ、攻め手にはぎりぎりの精神から浮かぶ情熱があり、受ける側には憤りを超えた感慨もあるのではと考えた。どちらだろう。それも含めて見て考えよう。

 そんな映画だった『グラフィティ・グラフィティ!』の初日、2020年11月20日のTOHOシネマズ池袋には、松尾豪監督を始め出演者が登壇しての舞台挨拶が行われた。

 まず松尾監督が挨拶。「完成から2年くらい暖め続けて、この瞬間に立ち会うために頑張ってきた仲間です」と紹介して、柚子役の渡邉梨香子、商店のジジイこと権三役の萩原正道、へたれた同級生の小太郎こと角健士、柚子と同級生の華を演じた村上真衣が入ってきた。

 そんな面々にまず、撮影時のエピソードを松尾監督が尋ねて答えた渡邉。「こんなにも映画祭に入選するとも思っていなかったし、明後日も福岡インディペンデント映画祭でグランプリを受賞する」と受けている評価を喜んでいた。「それだけに去年の今頃、田辺・弁慶映画祭で入賞はしたけど無冠に終わって、あんなに落ち込んだ松尾君は見たことがなかった」とも。「そこからここに来るまでの盛り返しには、作品にも出ているように、監督のクリエイティブなことへの思いがにじみ出ている」。

 ちなみに目下、新宿テアトルで田辺・弁慶映画祭のセレクションが上映されているとのこと。TOHOシネマズ池袋の新しくて大きいスクリーンで上映できるのなら、田辺/弁慶映画祭で無冠に終わったリベンジを、『グラフィティ・グラフィティ!』も十分に果たせたのでは内だろうか。

 続いて萩原。「最初に現場に入ったとき、アバウトな感じがして大丈夫かと思った」という。何しろ監督が助監督のようにカチンコを打ち、キャストの送り迎えもしたそうで、人手も不足する中で7日間で撮った作品。なおかつそこから1年以上が経過してしまった。「作品ができあがったら想像を絶するような、自分が抱いていたイメージの遙か上を行く作品になっていて、なんだこれはと出演者ながらびっくりした」。

 出ていた人たちが驚くんだから、見て驚かない人はいない。「撮影が真夏の7日間。40度近いくらいの中、監督はひとりだけ薄着なのに、こちらにはマフラーを白とかふるえろとか。最後まで何も書いていないところで演技しろと」。それが見ると「マザーファ●●ーってあって、大丈夫かと思った」。

 ちなみにこの映画は、映倫でPG-12に指定されている。あの世紀の大ヒット作『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』と同じレーティング。完成時には「誰も映倫に引っかかるわけ無いと思っていたらPG-12ですと言われた。言葉が汚かったからと思ったら、未成年が犯罪行為をしていますねと」と松尾監督。グラフィティはやっぱり犯罪。そこは感動的だからといってはずしてはいけない部分なんだと改めて思い知らされた。

 そして角。「撮影のこともそうだけれど、この映画を作る前から松尾監督と一緒にいろいろ作ってきた。今回も一生懸命に作っているが、こういう展開を見せるとは想定していなかった。映画祭に幾つか出品して、幾つも良い評価をいただいて。僕が出たものの中で一番いろいろな所に連れて行ってくれた。多くの人と作品を通して出会うことができた」と喜んでいた。

 ただ、やっぱり浮かんだ田辺・弁慶映画祭での件。「映画祭で割と良い結果が続いていたタイミングで田辺・弁慶映画祭になった。この映画祭が1番早く入選が決まっていたから、良い気分で皆で行ったら無冠だった」。だからこそ松尾監督の呆然度合いも大きかった。「松尾監督のしょげかえった背中を本当に見てられなかった。背中から哀愁が漂っていた。一気に老け込んだようだった」とも。それが「誰もが知る映画館で上映させていただける機械をいただいた。感慨は大きい。特別な体験です」。その感動に付き合うためにもTOHOシネマズ池袋にゴー・フォー・イットだ。

 最後に村上。「低予算で作ってる中で1日中撮影をして、監督が車両部としておうちまで2時間くらいかけて送り続けてくれた。その頃に、誰がこの大きいスクリーンで上映されることを想像していたのか」。誰も想像がつかなかっただろう。「これも松尾監督が行動を起こしたからで、フライヤーを作ってビラを配ったことで、たくさんの人が見て下さった。いろいろなグラフィティを書いて下さった。それらを見てくれた人がいたからこそ、今日ここで上映することができた。行動力のすさまじさを、この映画を通して感じました。見て下さった人も感じてくれたら嬉しい」。感じ入りました。

 そんな感じで行われた舞台挨拶。終わりに渡邉が、映画では松尾監督がVFXで真夏の撮影に白い息とか落ち葉とか、雨とか雪を作り出しているので注目して欲しいとアピール。萩原は、「初日はいっぱいだったけど、明日から厳しくなるので宣伝していただけると嬉しい」と呼びかけていた。

 角は、「ローソンチケットでしかチケットが買えないので、映画館で見ていただくまでワンクッションがある。僕らも宣伝しますが、皆様の口コミも重要になってきます」と話して、映画館ではチケットが買えない面倒さを乗り越え、言って欲しいと呼びかけていた。村上は、「皆で作り上げた映画がどんどんと大きく。この世の中で良い連鎖が続けば良いですね」と挨拶した。最後に松尾監督。「皆様の生の声が子の作品の成長を加速します」。分かったと生の声を上げよう。グラフィティにして書くことできないので勘弁を。(タニグチリウイチ)

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