映画『君たちはどう生きるか』レビュー
【破滅へと向かう世界から少年は小さな平穏を願うか焼け跡からの再生を望むか】
宮崎駿監督の10年ぶりとなる長編アニメーション『君たちはどう生きるか』を観た。事前の予想通りに、全体の流れはやはりジョン・コナリーの児童文学『失われたものたちの本』(創元推理文庫)を踏襲していた。母親を亡くした少年デイヴィッドが父親と共に再婚相手の屋敷を訪ね、そこで失踪した大叔父が残した書庫を見つける。そしてドイツ軍の飛行機の墜落に巻き込まれた中でデイヴィッドは異世界へと飛び、木こりに助けられ、ローランドという名の騎士に導かれながら大冒険を繰り広げる。
映画をすでに見終わったなら、なるほど『君たちはどう生きるか』のフォーマットに似通っていると思うだろう。異世界に行って最初に出会い助けられるのが、映画ではキリコという女性で児童文学では木こりという、アナグラムとも駄洒落ともつかない関係になっている。そこまでタネ本にするくらい、児童文学のどこに宮崎駿監督がピンと来て鈴木敏夫プロデューサーに読んでみてよと言い、そして映画にしたがったのかが気になるところだけれど、『失われたものたちの本』で主人公のデイヴィッドが早くに母親を病気で亡くした境遇を、自身の結核を患っていた母親と重ねて、何か感じるところがあったのかもしれない。
ちなみに、宮崎駿監督の母親は早世しておらず、71歳まで存命だったそうで、社交的で勝ち気なところもあったそうだからそこは『君たちはどう生きるか』で継母として登場してくるナツコに重ねつつ、ヒミという名で若い時の姿で出てくる実母という2人の母親に分裂させたといった想像をしたくなる。
そもそもがヒミ自体が幼少期は強気で勝ち気なおてんばお嬢さんといった感じ。そうしたキャラクターを長く描いてきた宮崎駿監督の中にずっとくすぶっている少女趣味も、この映画は一緒に包含していると言えそうな気がする。
母親への思慕。知識への欲求。そして何より異世界への憧れのどれも満たしてくれる『失われたものたちの本』に感じ入り、そこからオリジナルの物語を作ることを考えていったけれど、ガワはしっかり受け継いだ。なので『失われたものたちの本』を事前に読んでいた人間ほど、それを軸線にして迷わずストーリーの最後まで引っ張って行かた。僕みたいに。
そうしたガワにいれる中身についても、木こりがキリコになっただけでなく、ヒミがローランドになったり、トリックスター的なねじくれ男がアオサギに化けたりと、タネ本から少なからず受け継がれている気もする。童話をふんだんに盛りこんで独自解釈している『失われたものたちの本』ということで、屋敷の婆さんたちは「白雪姫」に出てくる7人のこびとであり、エプロンドレスを着たヒミは不思議の国のアリスといったところか。
何より行方不明になった大叔父が異世界の王なり殿様というのがタネ本とまるでいっしょ。そして危機に陥ったところを木こりがふたたび現れ助けてくれるところまで重なっているんだから、事前に読んでいた人はもう喜ぶしかないだろう。クライマックスの直前で、海が描かれてそこをスーッとキリコの船が進むのを観て、ああそうなるんだろうなと予想していたので、登場にやっぱりと思ったのだった。ちょっとばかり苦笑もした。そこまでやるかと。
ただし、個々のキャラクターには宮崎駿監督の考えが含まれていそう。たとえばインコは『失われたものたちの本』に出てくる獣人を想像させつつも、王に従いすべてを任せる傲岸不遜な集団といったところはまるで大日本帝国陸軍。国体護持こそが唯一にして絶対で、それに従い時に殿様にまで諫言をしては刀をふるってすべてをぶちこわすところなど、天皇陛下をないがしろにして暴走した挙げ句に、日本を自滅へと導いた旧日本軍が思い浮かんで仕方がない。
ペリカンについては迷うところだけれど、新しく生まれようとしている命であるところのワラワラを襲って喰うように連れてこられたにも関わらず、埒外に置かれて迷惑者扱いされているのはあるいは強制連行者か。センシティブな解釈だから判断が難しいけれど、いろいろと含みを持たせているところはあるだろう。眞人が埋めてあげるのも当然のこと。ある意味で犠牲者なのだから。
そうなってくると気になるのが13個の積み木で、宮崎駿監督・演出してきた作品の数と一致しているから、それを受け継いで欲しいという欲求の現れであり、それをひっくり返して厳しいけれども自分の世界を選ぶというのは次はまっさらな状態で作って欲しいというエールといった解釈が流れている。3日に1個詰めというのはせめて3年に1作は作れという要望か。
そうした解釈もきにしもあらずだけれど、別に積み木が太平洋戦争終結目前の日本だとしたら、1931年の柳条湖事件から始まった戦争が、作中でも語られるサイパン島陥落の1944年まで13年経って、もはやゆくところまでいってしまった国体を穏当な方向へと導いて欲しいという天皇陛下の大御心を示しつつ、そうではない戦乱と痛みにあふれた世界へと戻ってそこからの再生を目指す眞人を、焼け跡から立ち上がっていった戦後民主主義的なものの象徴として捉えることも可能なような気がする。
さらに敷衍するならば、もはやインコでいっぱいになって衰退が進む石の中をいろいろと行き詰まった現代の日本であり世界と解釈し、そこからの再生を若い人に託そうとした作品だともいえる。継承するか、それとも新しく切り開くか。『君たちはどう生きるか』とはまさしく今の若者たいへの宮崎駿監督であり、そして大人たちからの問いかけなのだ。
そうしたテーマを大きく含んだ上で、母親への思慕が募る余りにさっさと再婚する父親への不信が自傷といった行為へと向かい、またナツコを疎む気持ちがナツコに伝わり嫌いと言わせてしまってお互いに後悔させて、そして眞人がナツコを母親と認め愛する方向へと進む改心からの決意も描いて仲良くしようと呼びかける。
そして少年だった自分はキリコでありナツコにかき抱かれて心みたされ、さらに老人となった殿様となった自分は少女をかきいだいて感涙する。大いに満足できただろう。
そんな感じに、インスパイアがあり含意があり暗喩があって願望もありといった具合に切り口抱負な『君たちはどう生きるか』は、解釈のし甲斐が相当にあって謎本だとかいろいろ出そうだし、それをもってまた見に行かなくちゃといったリピーターも誘いそう。結構なヒットが期待できるのではないだろうか。
そして、産屋の前ですっくと立つヒミのあれはペジテの飛行瓶に立ちふさがるナウシカにもにた少女の強さを感じ取り、また通路をかけてくるヒミの丸点になった目の愛らしさに喜ぶのだ。(タニグチリウイチ)