映画『8日で死んだ怪獣の12日の物語-劇場版-』レビュー

【ネタをマジに演じることで和らぐ恐怖、浮かぶ決心】

 マジに新型コロナウイルス撲滅を願いつつ、ネタとして怪獣好きの面々が怪獣に自分の願望と自身の関心を添えて繰り出し興味を誘った「カプセル怪獣計画」を引っ張って、新型コロナウイルスによって起こった引きこもり生活だとか人々が消え去った街並みだとかをネタとしてフィクションの中に再現し、その舞台の上でマジなリアクションを演じて見せた作品とでも言えば良いのか。

 それが、岩井俊二監督の『8日で死んだ怪獣の12日の物語ー劇場版-』という映画から総体として沸き上がってくるメッセージ。「カプセル怪獣計画」とも共通で、新型コロナウイルスをどうにかしたいといった意識ではある。ただ、それをフィクションというネタを通すことによって、半歩下がって斜めから眺めたような感じにさせた。今を生きている誰の身にも迫っている恐怖めいたものを、客観視して冷静になって未曾有のこの状況を、どうにかこうにか生きていこうとする気分にさせる。そんな映画だ。

 喜劇だとかコントだとか落語だとか漫才といった、お笑いのエンターテインメントが、恐怖を笑いに替えて心を安らげるのに似ているとでも言えそう。ただし、映画自体は決して喜劇でもギャグでもなく、真面目に演じられ真面目に撮られている。それでも浮かぶ奇矯さが、見ている人に笑いめいたものをもたらすから、そうした効能を狙っていた節はある気がする。

 出演者は、どこまでも渋くて落ち着いた感じの斉藤工に、ナチュラルで頓狂な感じののん、熱さと実直さで迫る武井壮、怪獣と特撮のことだったら安心して聞けそうな樋口真嗣監督ら。そんな面々が、本人に近い、素のような言動を見せながらも与えられた役の上で、ネタをマジに演じて見せることから浮かぶギャップがやはり面白おかしい。

 ネット通販で取り寄せた怪獣を育てて、新型コロナウイルスをやっつけて欲しいなんて願うこと自体はナンセンスで、まったくもってリアルじゃない。けれども、そういう思いをネタに込めてマジに喋ってくれる出演者たちの思いが向かう場所にある、この状況がどうにかなって欲しいという気持ちはしっかりとくみ取れる。

 それはもちろん、今のこの状況があってのもので、10年後にこの映画を観たら何て間抜けなことをやっているんだと思うかもしれない。それとも甘かったと思って人が死に絶えかけた地平で懐かしむのかもしれないけれど、今というこの時期だからこそ笑いの中に共感を得られる。その意味では時事性を持ったフェイクドキュメンタリーとも言えそう。それ故に今作られ今見ないといけない。そんな映画だ。

 怪獣ネタは分かる人には面白いだろう。『ウルトラセブン』に出て来たカプセル怪獣のウィンダムとかミクラス、『帰ってきたウルトラマン』に出てきたグドンといった取り沙汰される固有名詞にハッとできるとこれは楽しい。ペロリンガ星人とか出てきた時点でそれヤバいっしょとか思えるし、騙されてるんじゃと感じ取れるんだけれど、そうでなくても宇宙人というのは、言葉巧みに人を欺くものだと感じていれば楽しめだろう。

 街撮りとダンスのシーン以外は、部屋にカメラを置いて自撮りしたりZoomなどを介して喋ったりするのを集めてつなげたリモートワーク的作品。それでも広がりと奥行きを持った作品にできるのは脚本の力、それを演じて会話をつなげる役者の力なのだろう。映画監督の樋口真嗣が妙なことを真顔で言う時に、どこか衒いや気恥ずかしさがのぞいて苦笑せざるを得なくなるのかと思ったら、ちゃんと付き合ってマジでネタを喋って役者陣に負けていなかった。

 それにしても、のんはちゃんと星人を買ったのに、サトウタクミは怪獣を買ってどうしてガッツ星人が出てくるんだ。そこで妙だと思わないのか。そこは少し謎だった。(タニグチリウイチ)

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