梶浦由記ツアー『Yuki Kajiura LIVE vol.#11/elemental Tour 2014』パンフレット寄稿文
【作品に寄り添って紡ぎ奏でる音楽で作品を高みへと誘う音楽家】
2013年暮れ、その週で上映が終わる『劇場版 空の境界 未来福音』を新宿に観に行った。公開からすでに3カ月が経ちながら、劇場内は満席に迫る入り。これほどまでに「空の境界」シリーズが根強い人気を得た背景には、両儀式をはじめとしたキャラクターへの共感や、残酷でありながらも切なさと優しさを感じさせる物語への賛意と共に、梶浦由記がシリーズを通して担った音楽への支持があったように思う。
2007年末に公開された『劇場版 空の境界 第一章 俯瞰風景』で梶浦由記は、どこか遠くの方から漂ってくるような歌声が乗った幻想的な旋律を繰り出し、暗闇の中を手探りで進んでいく時に近い緊張感を誘ってみせた。戦いの場面では一転してビートが効いた激しい旋律を鳴り響かせて、観客の心をその渦中へと引きずり込んだ。
のべつまくなしに鳴り響いては、あらゆる心情や状況を音楽で表そうとするサウンドトラックも少なくない。けれども「空の境界」シリーズで梶浦由記は、画面の奥からじわじわと滲み出してくるような音楽を当て、そのシーンが描いている状況なりキャラクターたちの心情を音楽によって補完して、シリーズが醸し出している独特な世界観を支えてきた。
完結編となった『未来福音』でもそんな前へと出過ぎない音楽は健在で、必要な部分に適切な音楽を響かせて、6年近くをシリーズとともに駆け抜けて来た余韻を味わいたい観客の気持ちを、乱さず誘うようにしてエンディングへと導いた。
シリーズのサウンドトラックを集めたCD『the Garden of sinners 劇場版「空の境界」音楽集』のライナーで、原作者の奈須きのこと対談した梶浦由記は、この作品では仮アフレコの音声まで入ったコンテ撮の映像を見ながら、音楽を付けていったことを明かしている。本番で声優が喋ったタイミングが仮アフレコと違えば、演奏し直し譜面を引き直す手間もかけた。「実際にそうしてみると、やっぱりシンクロ率が高まるんですよね」という言葉どおりに、音楽はあらゆるシーンと溶け合って響いていた。
もしも別の音楽家だったら、どんな映像世界ができあがったのだろう? そのようなことはもう考えられないくらいに、劇場版「空の境界」シリーズと梶浦由記の音楽は密接に絡み合って存在している。同じこととは、2013年にもう1作、梶浦由記の音楽が鳴り響いたアニメーション映画にもいえる。いわずと知れた『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』だ。
興味深いのは、「空の境界」シリーズとは少し違って、「まどか☆マギカ」では音楽がストーリーやキャラクターたちと並び立って、強い存在感を見せているように感じられたことだ。後に「未来」というタイトルで、歌詞を付けてKalafinaに唄わせた「Credens justitiam」、いわゆる「マミさんのテーマ」を手始めとして、登場するキャラクターたちに寄り添い、その心情や行動を代弁するように響く音楽が「まどか☆マギカ」のシリーズには少なくない。
心情を弾けさせるシーンで奏でられる明るい音楽もあれば、悲劇へと向かう過程で地の底から突き上げて来るような暗い音楽もある。その幅こそが「まどか☆マギカ」という作品が魅力として持っている幅であり、それを表現できる音楽家として梶浦由記は他の誰にも代えがたい存在だった。
映像に寄り添い、時に奥まった場所から作品を支え、時に華やかに響いて作品の豊穣さを増幅する。そんなサウンドトラックにおける梶浦由記の仕事が生まれた作品が、2001年に放送されたテレビアニメーション『NOIR』だ。監督の真下耕一から音楽を依頼された梶浦由記は、バックグラウンドミュージックならぬフロントグラウンドミュージックという立ち位置で、背景に沈まない音楽を作り提供したという。
銃を手にした少女が、激しくスピーディーなアクションを見せる映像に、普通ならアップテンポなロックサウンドを付けそうなところを、梶浦由記は宗教音楽のように荘厳に響くこともあれば、異国情緒を漂わせて鳴ることもある音楽を付けてきた。真夜中のテレビから流れてきたそんな音楽に、驚いたアニメファンの数たるや。梶浦由記という音楽家の名前、というより作り出すサウンドの独特さを、『NOIR』で意識した人も多いだろう。
幸いにもこの『NOIR』のブルーレイボックスが2014年初めに登場して、梶浦由記が「音楽を作っていく上で自信になった」とまで言う“原点”に、いま一度触れることができるようになる。未見の人は、ライブでもよく唄われる「canta per me」が、アニメではどういう場面でどれほど強烈に鳴り響いているのかを確かめてみよう。
映像に合わせ音楽を作り出す作業の細やかさ、そうして生まれる梶浦サウンドを持ったアニメーション作品の輝きは分かった。ならばライブはどうなのか? 映像はない。ストーリーは紡がれない。キャラクターも動かない中でただ、音楽だけが奏でられることに意味があるのか? そう問われればひとこと、「観れば分かる」と答えよう。
2013年5月11日に東京国際フォーラムで行われた、梶浦由記の音楽活動20周年を記念する1夜限りのライブ「Yuki Kajiura Live#10 Kaji Fes2013」は、のっけから5時間を越えると宣告されて始まったとおり、午後3時から休憩を挟んで午後8時過ぎまで、宣告どおりの時間を一気に駆け抜けた。
驚いたのは、フロントに立って演奏し続け梶浦由記の体力だけではない。5時間という長丁場をまるで飽きさせないで観客の気持ちをステージへと向けさせ、終わった時に本当に5時間も経っていたのかと思わせた演出の巧みさ、決して聞き飽きさせることのない楽曲の多彩さ、次々に登場した歌姫たちの歌唱の素晴らしさだ。
先陣を切ってステージに立ったのは、「空の境界」シリーズで起用したKalafinaの3人で、デビュー曲となった「obrivious」から始めて持ち歌へと繋げ、そして『機動戦士ガンダムSEED』で主題歌として使われた「あんなに一緒だったのに」を唄って、Sea-Saw時代からの梶浦由記ファンを喜ばせた。
以後、FICTION JUNCTIONを梶浦由記とともに構成する歌姫たちや、ゲストとして招かれた女性シンガーたちが次々に唄い、繋いでいったライブは、フロントバンドメンバーと梶浦自身が呼ぶベテランミュージシャンたちの迫力ある演奏も合わさって、5000人が詰めかけた巨大なホールが梶浦サウンドでいっぱいに満たされた。
そんなライブで歌声を響かせていた歌姫たちに思ったのは、その声質の良さと幅の広さだ。FICTION JUNCTIONとしてステージに立った4人の歌姫をとっても、WAKANAは空間を突き抜けるようなハイトーン、YURIKO KAIDAは天上から響くような透き通った声で聴衆の心を癒す。KEIKOはKarafinaと同様、大地の女神然とした安定した声でメンバーを支え、そしてKAORIは溌剌としてパワフルな声で全体に躍動感を与える。
「どんなに良い声でも、楽器として鳴らせる技術がなければ声は響きません」と、以前にインタビューで話していた梶浦由記。歌姫たちの誰もが、素晴らしく巧い歌を聴かせてくれていても、それだけでは感動は引き起こされない。同じ声が並んだだけでは、ただ音が大きくなるだけで、そこには膨らみも重なりも生まれない。
「魅力的な声を持っていて、技術のある人。その兼ね合いが大事なんです」。そんな歌姫たちが持つ声の特徴を引きだし、重ね合わせてひとつの楽曲を作りあげていくプロデューサーとしての梶浦由記のすごみを、すべてが生歌によって演じられるライブの会場では、CDや映像ソフト以上に体感できる。四方八方から迫って全身を奮わせる音と歌声の空間に浸りきれる唯一の機会。それが梶浦由記のライブなのだ。
そんな空間をどう楽しめば良いのか。インタビューで梶浦由記はこう話していた。「こうしてくれ、ああしてくれというのはまったくありません。ライブ会場にはみんなでいるからこその空気感はあるけれど、基本的には音楽は1対1で向かい合うもの。みんなとの一体感を味わいに来ても良いし、椅子に座ったまま難しい顔をしていても、それが自分の楽しみ方なら良いんです」。
つまりは自由。「いま、こんなに娯楽があふれかえっている世の中で、2時間3時間といった時間を楽しみに、お金を払ってきてくれる。それが嬉しいんです。私たちとのその時間を選んでくれた。感動してしまうくらいの奇跡です」。今がライブ前なら、そんな奇跡をこれから共に作りあげることになる。最高の時間を存分に堪能しよう。
ライブで幕を明けた梶浦由記の2014年には、もうひとつ大きなトピックがある。『あまちゃん』『ごちそうさん』とヒット作が続くNHKの朝の連続テレビ小説で、4月スタートの『花子とアン』の音楽を手がける。深夜のアニメーションにマッチした、荘厳で深淵な音楽や、恐怖を誘い昂奮を煽る音楽によって知られる梶浦由記が、爽やかで晴れやかな朝のドラマにいったいどんな音楽を付けてくるのか? 長く梶浦サウンドに浸ってきた者ほど抱く思いだろう。
もっとも、心配は無用だということも、長い梶浦由記のファンなら知っている。どんな局面でも最善すら飛び越えてみせる音楽を作り出し、与えてきてくれた音楽家が梶浦由記なのだから。朝ドラであっても、テレビの中で繰り広げられるドラマに寄り添いながら、視聴者を引き込むような音楽を聴かせてくれるに違いない。梶浦由記にとっての新時代の幕開けになるかもしれないトピックの誕生に、立ち会える幸せを噛みしめよう。(タニグチリウイチ)