映画『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』レビュー
【巨大人型ロボットの市街戦をリアルに描くが「ガンダム」かというと…】
『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』の原作を読んだのは、もう随分と前ではっきりしたことは覚えておらず、おそらくはいろいろと前段をすっ飛ばして、ブライト・ノアの息子のハサウェイ・ノアがすでに大物となっている段階から始まっていたことに、最初は頭が追いつかなかった。
それでも、展開の中でだんだんそうかと分かってきたので、身にお話しが染みていく感じが味わえてそれはそれで興味を引かれた。こういった手探りで見る感じも悪くはないが、1度見て全体を俯瞰できる立場になったこともあり、2度目を観ればまた新しい発見もあるかもしれない。どういったタイミングでシャトルの中にいるハサウェイが、ハイジャック犯相手にぶち切れたのか、といったことか。
そんなシャトルでのやりとりを経て、ホテルでハイジャック事件に関して聴取を受けるまでが長くて長くて、モビルスーツ戦がメインとなるべき「ガンダム」シリーズらしくはなかった。一方で、社会や政治といったものをじっくりと見せて、世界が地に足のついたものだと感じさせてくれたからこそ、街がテログループに襲撃されて破壊されていく中で、大勢が逃げ惑い、少なくない人が亡くなる状況への理解がより深く及んだ。
ハサウェイを含めてホテルから逃げ出した人たちを足元に置いてのモビルスーツ戦は、巨大な兵器同士の戦車などにはない格闘が繰り広げられているその周囲で、どういった状況が発生するのかを分からせてくれる。『ファイブスター物語』でモーターヘッド(ゴティックメード)が大暴れすると、一般の人ではまるでかなわない状況をより現実感のある中で見せてくれるというか。もしも本当にモビルスーツが開発されて、地上での格闘戦が行われたら、逃げ惑う前に踏みつぶされたり焼かれたりするのを体感させてくれるというか。
逃げても逃げても現れるモビルスーツに、ハサウェイたちが追われているのかそれともわざと戦闘が激しい方に逃げているのかは、少し分からなかった。飛び散る火炎にハサウェイと絡む謎の女性、ギギ・アダルシアのハンドバッグだけが巻き込まれて燃え上がるとか、偶然にしてはラッキー過ぎてそこはちょっとアニメならではの都合っぽかった。そこで全身火だるまになって燃えてしまったり、降下してきたモビルスーツに踏みつぶされたりしたら、お話し自体が終わってしまうから仕方がないのだが。
そのギギ・アンダルシアという女性が、スタイルや顔立ちは大人のようなのに、ときおり子供のような言動を見せるといった具合に、行ったり来たりしてつかみ所がないのが妙に人間っぽかった。誘惑しているようにしなを作ったと思ったら、スイートのリビングで着替えているところを観られて恥ずかしがって、自分の部屋に飛び込んで怒り出す。かと思ったら司令官を呼んで食事をして踊りに行く。
小悪魔かというと、もうちょっと大人びているところもあれば、純粋にはしゃいでいたり怯えていたりと子供っぽいところもあって、悪役なのか道化役なのか主役なのかを判然とさせないところに、役割を定式化して、それへの共通理解の下、予定調和的に引っ張ることをさせない工夫が感じられた。
そうしたキャラクターを描く千は崩れずしっかり最後まで整っていて、作画陣の力量の高さを感じた。ハサウェイ・ノアの動きも良かった。アクションに関してはモビルスーツ戦もなかなかのど迫力。難を言うなら中心にいるべきガンダムが、ともにゴテゴテとアーマー類で着飾っていて人型に見えないことか。空を飛ばしたり高速で起動させたり相手の攻撃から身を守ったり逆に激しく攻撃したりする上で、モビルアーマー化は避けられなかったのかもしれない。それなら人型である必要はないということになる。
そういうお約束を無理にでも守ろうとして、異形のモビルスーツばかり繰り出していると、ミリタリーファンは嬉しがってもロボットアニメとしての「ガンダム」」ファンは離れていくのではないか。「機動戦士ガンダム サンダーボルト」が分かりやすいメカによる狙撃からの近接戦闘だったり、地上での作戦行動からの戦いであったりして、見ていて分かりやすかったのとは対照的だった。
モビルスーツが実現した場合の地上戦、そして市街戦での惨状をリアルに描いたミリタリーものといった要素があり、富野由悠季原作としての人間を描いたドラマはあっても、「ガンダム」ならではの地上と宇宙、人類とニュータイプといった未来を伺うSF的なビジョンはそれほど多くない。そこが現時点での評価の分かれ目になっている。続く展開で何か示されるのか。上映を待ちたい。(タニグチリウイチ)
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