プリンスの映画
ちょっと前にプリンスの映画を観てきたので、ちょっと書いておこうと
軽く酔っ払いながらのながらnote。
そんな中のヘッダー画像の絵は走り描き。
酔っ払いといってもそんなに呑んでいるわけでもなく、妻の晩酌に付き合ってビール350を1杯夕食と一緒に、ごちそうさまの後にもう1杯、
お店を畳む際に余ったサッポロ芋焼酎「からり芋」。
これだけで充分酔っ払いになれる私は非常に経済的。
ということで酔い覚ましのnote
酔いによって思ってもみない内容の文章が出来上がる可能性大。
話を戻そう。
プリンスの映画「ビューティフル・ストレンジ」の件。時々観に行く場所ではあるけどテアトル新宿やトーホーシネマズほどには行かないかなという映画館「新宿シネマカリテ」で鑑賞。
映画『プリンス ビューティフル・ストレンジ』公式サイト (prince-movie.com)
「ビューティフル・ストレンジ」というタイトルから創造していたような内容では(これっぽっちも)なかった。騙された、詐欺だ、最悪!!と、
思いはしたけれども、もしかしたらこの作品をどうにか日本の劇場で上映したい!という強い強い想いからなんとかして集客できるように試行錯誤してプレゼンして営業して血眼になって馬車馬のように働いてその結果こういうことになったのかもしれない。
という事で、今はちょっと冷静に穏やかに「これはこれで観に行ってよかった」と思えるようになった。
上映中はもうすごいスピードで流れる字幕をただ無感情に追い続けるマグロ状態だったが、それでも多少は心に残ったような気がしている。
変な文章になっているとは思いますが、続けます。
プリンスの映画だと思ったらプリンスの音源は全く流れず、冒頭に「この作品はプリンス財団とは一切関係ありません。この作品に流れる音楽はプリンスにゆかりのあるミュージシャン達のインスピレーションによるアドリブ演奏です」みたいな説明文が表示されて、なんか著作権フリーのBGMを使用したYoutube動画のような感じでインタビュー映像が続く。
ずっと「プリンス万歳、才能すごい」と褒め続けるような形式。
チャカ・カーンだけが多少プリンスの天才ゆえのちょっぴりダメなところを話す、というような内容。チャカ・カーンの話す貶しエピソード部分も「プリンスは遅刻したミュージシャンをすぐクビにするから私が叱ったのよ」みたいな、とくに光と影の影の部分という感じでもなく、んー、まあどう受け取ったらいいかわかんないなという感じ。
時間に厳しいタイプだっただけかもしれないし、トップアーティストとの仕事に遅刻するとそうなるよーということならばそれはそうだろうという気はする(例えば私がプリンスのスタッフだったとして、遅刻して即その場でクビになったとしてもそりゃあそうだろう)。もしかしたらいろいろ積み重なってそうなっていたのかもしれないし、チャカ・カーン的にはユーモアを含むような話のニュアンスだったのかもしれない。
なんにせよ、こちらには精密に考えるような時間の猶予はなく、次から次へと繰り出される字幕を追わなくてはならない。考察は許されないのだ。
そんでまあ、疲れたし、つまんなかったし、
この映画に対しての著名人たちのコメントにも正直辟易した。
プリンスのことは大概知ってるつもりでしたが、改めてその怪物的才能を思い知らされた。同時にそのナイーブな人間性や苦悩と葛藤・・・やっぱりプリンスも人間だったんだということも、この映画でよくわかった。
"頭に浮かんだ音楽を外に吐き出さないと 脳が濁るような強迫観念がある” この一言に尽きますね、プリンスの人生。
スガ シカオ(シンガーソングライター)
この方の音楽は素晴らしいとは思うが、プリンス好きを公言したりファンクに影響を受けた的なことを言っているらしい(真偽は定かではない)という話に私はずっと勝手に疑いを持っている。ん?と思ったりする。
なんとなくなんだけど。
まあそれはいいとして、本当にこの映画を観てこのコメントそのままの感想を持ったというのなら相当ピュアな人だなと思った。いや、映画の内容を読み取る力、読解力がすごいのかもしれない。でも、、、この映画の宣伝のために出した各コメントの中でズバ抜けて業が深い感じがする。舞台挨拶みたいなこともしてたしビジネス・プリンスフォロワーの匂いを強く感じる。このコメントにあるような「ナイーブな人間性や苦悩と葛藤」はこの映画では絶対そこまで感じ取れないと思う。
著名人コメントは批評ではなく宣伝文句みたいなものなので、そりゃ各種オーダーに沿っていろいろ厳格なシステムに基づいてなんやかんやあるのだろうけど、とはいえピュアなスガ氏ことシカオの場合は実はこれを本気で語っている可能性も高い。盛り上がっちゃってそう。いや、盛り上がるのは悪くないんだけど、だからこそモヤモヤするのである(そしてなぜかスガシカオという人間への謎の興味が増幅していくのである)。
他、及川光博氏による当たり障りのないコメントや荒木飛呂彦氏による抜け目のないコメントにもなにかモヤッとするものはあった。が、お願いされて視聴して、コメント出さなきゃならないとなったらこれはこれで正解かもしれない。さすがだ。
圧倒的な才能は人を救い、
人を狂わせる。
私の人生がおかしくなったのは、
多分に貴殿のせいですよ、
ネルソンさん。
及川光博(ミュージシャン・俳優)
本当に唯一無二のカッコイイ音楽芸術を創り上げたプリンス。
それが出来行く時間を体験したい。殿下のお誕生日の公開というのも神がかっている。
荒木飛呂彦(マンガ家)
西寺郷太氏のコメントはさすがに適格というか、信頼できるなと思った。
ちゃんと原題にもしっかり触れているしおそらく嘘がない。
原題「Mr. NELSON ON THE NORTH SIDE(北側のネルソン氏)」が示す通り、ミネアポリス北部に育ったプリンスの青年期を中心に、実際に直接関わった人物達の証言を集め立体的に彼の軌跡を描いた良質なドキュメンタリー。彼を追いかけ続けた信奉者のひとりとして、初期キーボーディストのゲイル・チャップマンが思いのほか無邪気に当時の衝撃的なパフォーマンスについて回想するシーンや、チャカ・カーンがユーモアも交えながらプリンスに対して友人として正直な言葉を重ねる姿に特に心が揺さぶられた。
西寺郷太 (NONA REEVES)
我々はマイケル・ジャクソンの「This is IT!」も、ビートルズの「Get Back」も観てきておりかなりハードルが上がりきっちゃっているこの時代。
インタビュー形式のドキュメンタリー作品としてのこの映画に心が揺さぶられるかと言ったら結構無理ゲーだ。
西寺郷太 著「プリンス論」のほうがよっぽど心が揺さぶられるマスターピース。
まあ私はプリンス・ファンだといっても、「公言しなほうがいいタイプのプリンス・ファン」だったりするのでそれはそれ、これはこれ、あんまりあーだこーだ言える立場ではそもそもない。さらに言うとnoteに文章を書いてはいけない人間だ。
私はプリンスをリアルタイムで聴いて影響を受けたとか、サイン・オブ・ザ・タイムスを浴びるように聴いていたとか、そういう事でもなく、
物心ついた頃になんとなくマイケルやマドンナと同じ感じで受け止めて
90年代のグランジの流れでようやく洋楽を聴くようになって、
その流れでたまたま「元プリンス」にハマったという、ちょっと遅れてきたプリンスファンという感じではある。棺桶てくるジ・アーティスト・フォーマリー・ノウン・アズ・プリンスをTVで観たのがほぼ初プリンスだった。あれはなんの番組だったのか。確か友達の家で観た。
で、熱心なプリンス信者が忌み嫌うとされる「カオス・アンド・ディスオーダー」がフェイバリットアルバムだったりする。いや、グランジからの流れだとすごくしっくりきたのですよカラダが。時代性。
その頃の「GOLD」「イマンシペイション」もいまだに好きでよく聴いている。
もちろん後追いで過去作網羅してプリンス&レボリューションのライブVHS何度も観てダンス練習したりもしていたんだけれども。でもまあ、そうは言ってもBECKとか全盛でしたし、1999とかパープル・レインとかやっぱり古臭くは感じておりましたよ。
で、やっぱりファンとしてそういう立ち上がりだったので「プリンスファンはウルサガタが多い」とか「ニワカファンを認めない」みたいな情報が、聴き始めの最初に知るということがありまして、こりゃ静かに追っておこう、ROMっておこうみたいな感じになっちゃって、、、まあ隠れてこっそり愛でるみたいな。
話を戻そう。
ていうかなんの話をしていたんだっけ?
まあそんなこんなで
何が言いたいのかってことだけど、この映画の一番の問題は、やっぱりこのメインビジュアルとタイトルにあると思う。
フーセンガムを膨らましているプリンス。
「We Are the World最大の謎」と言われているでお馴染みのプリンスのドタキャン騒動や、その後アワードかなんかのショウでみんなで歌おうってなったときに最前列で歌わないでガム噛んでた的なエピソードあるでしょ?
あ、ガムじゃないか、キャンディーか。ちょっと勘違いしてた。
でもあのあたりのエピソード掘りそうじゃん?ワーナーとの確執とか。
そのあたりの話が一切なくてね、概ねプリンス大天才万歳みたいな印象。
んー、これはどうなんでしょうかね、って思いましたとさ。
すいません長々と。こちらからは以上です。
7/21(日)に渋谷LOFT HEAVENでライブやります。
音のある場所 – LOFT PROJECT SCHEDULE (loft-prj.co.jp)
来れたら来てね!
よろしくお願いいたします。
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