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エッティラのタロットの大アルカナにマルセイユタロットの大アルカナと同じような絵柄があるからといって、同じように読んでいいのだろうか……

エッティラのタロットとマルセイユタロットは対応する?

結論からいえば、「対応させない方がいいと思う」というのが私の意見です。

たしかに、エッティラのタロットとマルセイユタロットを対応できるんじゃないか? という場合もみかけます。

「節制」とか「力」のカードとか、絵柄も似ていてタイトルが同じだとなおさらでしょう。

それでもやっぱり、エッティラはエッティラのように読んだ方がいいと、私は思うのです。

なぜか? 

同じような絵柄でも、全く異なる解釈があてられていることがあるから。

たとえば、こちらのエッティラのカード。

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こちらの、マルセイユタロットの「星」と絵柄がよく似ています。

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Le grand livre de L’Etteilla – tarots égyptiens(2005年出版)では、たしかにマルセユタロットと図像が似ていることは指摘されています。

けれど「このカードの解釈はマルセイユタロットのアルカナ17番と同様ではない。マルセイユタロットのアルカナ17番に反して、このカードは「解消」や「かなりの損失」と解釈する」とも書かれています。

特に、エッティラが生きた時代に近い本、Le Grand Etteila, ou l’Art de Tirer les Cartes(1853年出版)では、正位置でも、「略奪する」「暴力」「欠乏」「盗み」「こそ泥」「詐欺」などと、散々な言葉が連なっています。

ただし、こういう散々な状況から進化して新しい境地に入るんやで~ という説明もされていますから、割り当てられた言葉に惑わされないでいたいのは確か。

(もちろん、それはマルセイユタロットをリーディングするうえでも同じですが……)

「エッティラはこういうもの」と別物として扱いたいと思う

さて。

エッティラのタロットをマルセユタロットと同じように扱って、ちゃんとリーディングできるかどうか、は私には分かりません。

その人が「読めた!」というなら、読めているのだろうから。

けれどエッティラのタロットをエッティラの様に読むならば、マルセイユタロットと対応したり混同したりせずに、「エッティラはこういうもの」と別物として扱った方がいいように思います。

エッティラが、マルセイユタロットの根底に流れているものには敬意を示しつつもタロットエジプト起源説に基づいた「新たな解釈」をとるために、エッティラがタロットを作ったと考えるならば、やはり、エッティラなりの考えを軸にしたリーディングの方が、このカードが云わんとすることもよく分かるのではないか、と思うのデス。



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