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お通夜さえも祭りの如く騒がしい8人。

2022年1月末。
肺ガンのステージⅣと診断された義パパは家族に見守られながら召された。

狭い2LDK、リビングのど真ん中。
北枕で横たわる義パパを、ちょっと頭のおかしい私たち家族はお通夜の2日間、お通夜と思えないほど笑い転げていた。

お通夜の習わしをぶった切る

普通、お通夜は誰かが必ず夜通し線香を焚く、という習わしがある。
まずはそこからぶった切った。

「夜は眠いから寝る」

長男である殿が言い出した。
真意は『疲労困憊の家族を気遣って』のことだけれども、誰も意見せず「たぶんお父さんとお母さんが逆でも、お父さんもそう言って寝ると思う」と謎の一致団結を起こし

「父さん(じいじ)おやすみー」

北枕の義パパに、まだ生きてた昨日と変わらないトーンで挨拶して寝る。そして朝起きると

「父さん(じいじ)おはよー」

これまたいつものトーンで挨拶する。普通に考えて、ホラー。

死人をまたぐ家族

家に8人も居ると、1日の家事の量は半端ない。
ご飯はもちろん、洗濯の量も、掃除も1日1回の掃除機じゃキレイにならない。洗濯は9kgサイズの洗濯機を1日5回まわす日もザラである。
お通夜でもそれは変わらず、洗濯担当をしていた義ママは朝から洗濯機をフル回転させた。そして・・・

「ベランダ行くのに父さん邪魔だわぁ。またいじゃお。ちょっと失礼ー」

家の狭さが問題なんだけれど。
義ママは北枕の義パパをまたぎ、ベランダで洗濯を干していた。その洗濯干しを手伝う義妹も、あらよっと!とまたぐ。
そこへ私も紛れて「父さんごめんよー!」と言いながら布団をめくって掃除機を掛けるし、ベランダの一画がトイレになっているうさぎのももちも飛んでまたいでいた。罰当たりこの上ない。

私を通して、食べたい物を要求してくる義パパ

お通夜に騒ぐのは、なにも生きてる私たちだけとは限らない。
こんな風に書くと本気のホラーだけど、騒がしい家族の本家本元の義パパは召されても騒がしいのだ。

リビングに幅を取られ、これ以上ないほど狭くなった、一応ダイニングとしているスペースで、私たち8人は食事をしないといけなかった。
大皿でドーン!ご飯!味噌汁!なんて出来ないので、シャレオツに言う所のブュッフェスタイルを採用。

買い出しに行き、冷蔵庫の残り物を使い、1日何種類のご飯作ればええねん!とキレそうになりながら、私は食堂のおばちゃんと化した。

お通夜の最初の夕ご飯である。

スーパーで適当に買い込んだ食材で、ちゃっちゃかおかずをひたすら作る私。
その横に現れる義ママ。
テーブルに並ぶご飯を眺める。

「今日、なんでこれ作ろうと思ったん?」

なんだなんだ。
「youちゃん、お通夜はこんなご飯じゃあかんよ」
って、ここに来て嫁いびりか!
嫁姑バトルか!
受けて立つ!

絹ごし豆腐を揚げだし豆腐にしてる私は、静かに戦闘モードに入る。油もはねて熱いんじゃ。

「殿が好きだし、まぁなんとなく?」

揚げだし豆腐とも戦っている私は、ハサミ打ちで余裕がない。
なんなら寝不足だ。コンディションは最悪と言っていい。火に油、とか上手いこと思い付いたけど、面白くない。
さぁテキトーな返事の嫁に、義ママなんて返す!義ママのターン!!

「あれも、これも、あとそっちのも!ぜーんぶ父さんの好物よ!父さんの好物知ってたん?!」

んだよ!
お褒めかよ!

義ママ、嬉しそうに聞いてくるけど、知るわけなかろーが。
嫁いで半年!
義両親と会った回数は4回!
同居期間20日!
好物とか知る前に召されたわ!!

「お父さんに操られとるわ〜」

横で聞いていた義妹が言い出す。

「youちゃんに、あれ食いてぇ、これ食いてぇって今日ずっと言ってたのかもよ。お父さんアピりすぎや」

「1ヶ月近く、まともにご飯も食べれんかったからねぇ。ここぞとばかりにyouちゃんに言ってたんやろなぁ。youちゃんが分かってくれて良かったな、父さん。でも父さん食べれんから私が美味しく食べるわ」

嫁姑バトルの気配から一転、私は義パパに憑依された事になった。

気づけば、その日から私はたまたま出したご飯が義パパの好物だと『お父さんに操られとるよ〜』と家族全員から言われるようになった。
普通に私が食べたい時もあれば、普段はほとんど買わない食材を買うときもあるので、あながち否定もできない。
そして、そういう日は必ずテレビで義パパお気に入りの、サザンとかTUBEとかBEGINという夏!海!な曲がかかっている。

義パパ、アピりすぎ。
分かったから。
大人しく召されといてくれ。

おとなが自由なら、こどもも自由

おとなが北枕の義パパに自由に接していると、4人の子供たちも自由である。
お通夜の間、仏さんがいる部屋のテレビは本来なら布を掛けられ、必然とテレビ禁止になりYouTubeとアニメが生き甲斐のようなウチの子ども達には地獄の日々になる。

しかし、そこは頭のおかしい家だからして。

リビングのど真ん中、テレビの真ん前で横たわる義パパの側で、子供たちはテレビでYouTubeを見る。民法も見る。なんなら義パパの横に並べてるソファに座って足を向ける。そしてたまに踏む。

「ちょっと!じいじに気をつけて!一応死んでるから足を向けるのは辞めなさい!」

これは嫁としてのしつけが、、、いや『一応死んでる』のほうがダメか。
そう思ったけど、そこに居たおとな全員が

「うん、一応死んでるからね、踏むのは気をつけよ」

天然のかたまりか。


そして極め付けは、最後のお通夜の日。
当時小6だった姪が深夜テンションでさらに頭がおかしくなっていた。

豆乳の箱に付いていた接着のりの塊をホジホジ取って「見て、鼻くそw」と鼻くそ職人になった。

「じいじー見てー、鼻くそ。はい鼻くそあげる」

そう言って北枕のじいじの鼻の際に、鼻くそをソッと手向ける孫。

「じいじ、鼻くそ付いとるでwww」

自分で付けた鼻くそを、他の孫に見せて大爆笑する悪ガキ孫4人。それを「ちょっとあんたらな〜」と一緒に爆笑する義ママと義妹。
それを寝室で聞いていた殿は「あいつら・・・一応お通夜やぞ・・・」と頭を抱えた。

殿、今更だ。

形見が欲しい義ママ

「父さんのまつ毛長くてえぇなぁ。抜いたら怒られるやろか?」

死化粧を施された義パパの顔面を、気が向けば撫で回す義ママが呟く。

「痛ぇなるから、鼻毛にしたら?」

突っ込んでるのかボケ重ねてんのか分からない義妹。

「鼻毛はいやよー。髪にしとこ」

たぶん、普通は形見として取るには1番先に思い浮かぶ髪の毛が、うちでは最後の選択肢だった。
そして、それを笑顔で私に報告してくる義ママ。

義マ「まつ毛抜こう思うたんだけど、髪にしたんよー」
私「抜いたの?」
義マ「ううん、切った。だって抜いてベロンって皮取れたら怖いわー」

死んで2日じゃ皮はまだ剥がれんと思うよ、と言いながら、っていうか最初にまつ毛抜くとかもっと怖いこと言ってたじゃん!と突っ込まずにはいられなかった。

切った髪の毛はそっとティッシュに包み、後にポケじぃと呼ばれるトレカサイズの写真と共に、姪が可愛くあしらったトレカのアクリルケースに挟んで義ママは持ち歩くのであった。

【ポケじぃ】はポケットじいじの略である。
ちなみに【骨じぃ】もある。ペンダントに遺骨をひと欠片入れて持ち歩いてる。


お別れの日はそれでもやってくる

お通夜の2日間はこれでもかというほど騒がしく、あっという間に過ぎた。
いよいよ火葬の日。
葬儀社の人たちが棺を持って現れる。
2日かけて集めた義パパの好きな花を棺に入れていく。
子供たちが紙に書いて作った、幾らかもう分からないほど「0」がたくさん書かれたお金と手紙を入れ、火葬場へと向かった。

火葬場へ向かう車中、私は殿と話すなかで『リビングが広くなるなぁ』のひと言に涙が溢れ出した。
頭に浮かぶのは、リビングで机に突っ伏し、朝日のまぶしさに『youちゃん、カーテンを・・・』と、朝日を浴びたい義ママがちょっと居なくなった隙にカーテンを閉めようとする義パパと、薬が効いて寝てるときにガタン!と机から肘が落ちてビックリする義パパの姿である。
私はいつも直ぐに駆けつけられるように、キッチンからリビングの義パパを眺めていることが多かった。

その光景がもう無いのだ。

今日、これから家に帰ると、もうリビングで机に突っ伏してる義パパも、リビングのど真ん中で横たわる義パパも居ない。同居期間20日だけなのに、もうそこに義パパがいるのが普通の光景になっていて、こんな寂しいことがあるのかと胸が苦しくなった。

火葬場では厳かに事は進められ、骨を拾い、義ママに大事に抱えられた骨壷の義パパは無事に帰ってきた。

私は当日、急に熱を出した次男に付き添い、身内で外でランチをする予定だったのを、1人抜けて次男と留守番していた。

ガランとしたリビングに行くと何故か苛立った。悲しみが過ぎると苛立つらしい。

じきに帰ってくる義ママと義妹と殿が、この広々としたリビングを目の当たりにし、ソファーやテーブルを淡々と戻す光景を想像すると、居ない間に元のリビングに戻したいと思った。
二人掛けのソファーを1人で動かし、生きていた義パパの痕跡をそっと消していった。

それが良かったかどうかは分からない。
少なくとも、私の気持ちは区切られ、悲しみと苛立ちをほんの少し薄めることはできた。はず。

今はもう、リビングが広いなんて感じなくなった。
時間の慣れが怖いと思った。

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あんこ
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