コトバアソビ集「当たり屋の心当たり」
「オイッ、にーちゃん!!痛ェじゃねーか!!」
通りすがりの男とドンっと肩が当たった瞬間、飛んできた怒号。
(うわ、当たり屋か。最悪だな)
相手は趣味の悪いアロハシャツ、趣味の悪いサングラス、いかにもイチャモンつけてますといった形に歪んだ眉毛。しっかりしろ俺、ここで下手に出て謝ってはいけない。
俺は精一杯の虚勢を張り、何もなかったような顔をして立ち去ろうとした。
「ハァ!?無視かよ、いい度胸してんなぁ!!」
ガラの悪い相手は諦めずに付きまとう。
「なんですか、警察呼びますよ」
「ハァ〜〜〜?」
「そんなに痛くないでしょ。元気そうじゃないですか」
「どこに目ェついてんだよ、痛ェに決まってんじゃねーか、よ!!」
指でツンツンドスドスと俺の胸元を突き刺す。そのまま俺のネクタイをグッと掴んだ。
「にーちゃん、ちょっと一杯付き合えや」
(やれやれ・・・)
自暴自棄な気分だった俺は、そのままチンピラに付いて行った。
(なるようになれ、だ)
見上げた月が明るかった。
予想では何処かの居酒屋で無理やり奢らされるか、そのスジ系列の怪しげなキャバクラにでも連行されるかと思っていたのだが、チンピラは俺を夜の公園に連れて行き、自販機で飲み物を2本買って片方を俺に差し出した。渡されたのはオレンジの炭酸。チンピラは嬉しそうにクリームソーダの蓋をプシュッと開けた。
「へへ」
実に美味そうに飲む。そして、チョイチョイと手招きで俺をベンチに誘った。
(なんなんだ・・・)
もしかしてちょっとオカシイ奴なのかと警戒したが、今夜の俺はなるようになれって心理状態。素直にベンチに座った。
「そんでにーちゃん、辛気臭いツラしてどーしたよ」
俺は初めて会ったチンピラに打ち明け話をする羽目になった。
「フーン。で、そのマチアプ?で知り合った女に金取られちまったのか。いくら」
「200万」
「ハァ!?」
ハァ、だよな。全く。
「28で彼女もいなくて、アプリなんて初めて使ってみて。実際会ってみたら大人しくて真面目そうな子だったんだ。小さな会社で事務をしていますって。まぁ、後から嘘だと分かったんだけど」
「可愛い子か?」
「いや、普通。それで油断したんだな」
付き合いは数ヶ月だったが、この子となら結婚もいいなと真剣に考え始めた。誘われるままに結婚式場のイベントにも行った。
「親への挨拶は、色々理由つけられて後回しで。自分たちだけで話を進めていって。引っ越し代だの式場の手付金だの金が掛かるようになって。彼女も十万位は出したものだから信用しちゃって。ま、気づけば200万取られて逃げられた」
「お巡りさんには言ったのかよ」
「いやぁ・・下手に騒いで、会社にバレても恥ずかしいし」
俺が愚痴を吐き出し終えると、飲んでいたジュースも空になっていた。
結局その晩、チンピラは俺に金を要求する訳でもなく、ジュースを酌み交わして話しただけ。最後にチンピラは
「じゃあな、にーちゃん、元気でな〜!」
俺に背を向け、片手でヒラヒラと挨拶しながら去っていった。
その姿を満月がスポットライトのように照らしていた。
変な夜だった。
数日後。俺のマンションに突然の訪問者があった。インターホンを見て仰天、俺を騙した女だ。エントランスから部屋の前まで入れてやってドア越しに話すと、相手はとにかく平謝りで俺が渡した200万を返し、すみませんもうしませんとペコペコしながら帰って行った。訳が分からなかった。
「あんな方とお知り合いだとは思わず、どうか許してください」
とか言っていたが、あんな方って誰だ。
次の週末。実家の母親から電話があった。
『今、いいかい?大した話じゃないんだけどね』
「いいよ。電話とか珍しいじゃん」
『うん、それがね・・・』
母親は躊躇いながら言った。
『ちょっと変なこと聞くけどね。あの・・・健人が。あの子が好きだった、漫画だかアニメだか。タイトルを覚えてないかと思って・・・』
胸が高鳴る。
「えっと・・どれだろう。どうしたの」
『あの・・変な話だけど笑わないでね。母さんまだボケちゃいないから。あのねぇ、夢に、男の人が出て来てね。なんだかね、それが・・・大きくなったあの子のような・・・気がしたの。ごめんね変なこと言って」
笑うどころか。
俺の胸は締め付けられた。
もう10年以上経つのに、その名は俺の胸を締め付ける。
『あの子、ほら。なんか、ヤンキーっていうの?そんな漫画好きだったじゃない。ちっちゃいのに真似っ子して。なんだか不思議な夢でねぇ・・・あの子が大きくなって、好きだった漫画の真似してるみたいで。あなたなら、タイトルに心当たりあるんじゃないかって』
俺の頭で何かが弾けた。
「その夢、十五夜の夜?」
『そう!そうだよ。お団子供えたから』
「あいつ・・」
俺は、電話に向かって心を込めて言った。
「母さん。あいつ、俺んとこにも来たわ」
『・・・』
「金髪でサングラスで、派手なシャツだろ」
電話の向こうで、母が息を詰めたのが分かった。
「その漫画、俺の部屋の押し入れにあるよ。あの格好、あいつが一番好きだったキャラだ」
俺は母親と嘘みたいな話をした。
嘘?いや、おとぎ話だ。7歳で死んだ弟が夢に出てくるなんて。
「あいつは、ヤンキーを悪い奴とは思ってなくてさ。強くてカッコいいヒーローだと思ってた。大きくなったらああなりたいって」
母親は泣きながら笑った。すごくリアルだったと。肩を揺すりながら近づいてきて、遠目には怖かったけど、人懐っこい笑顔で。
『お父さんには、なんだか言えなくてね・・・あんたに聞いてよかった。ありがとね・・・』
川で溺れて死んだ弟。その時一緒にいた父親の心には、錆びた釘のように痛みが残っている。
母親との電話を終えて、俺はソファにへたり込んだ。
「そっか・・・」
弟が死ぬ少し前。
学校に入ったばかりの弟が上級生にいじめられたことがあった。後から話を聞いた俺はいじめた相手をボコりに行った。俺も殴られて青痣が出来た。
「にーちゃぁん」
俺の痣を見て弟は泣いた。
「ごめんね、ごめんね。痛いよね」
俺の痣を指差して、痛いの飛んでけと言ってくれた。
俺はお返しに弟の胸元を指差して、痛いの飛んでけと言った。
「怖いのも悲しいのも、みんな飛んでけ。な、もう泣くな」
弟は体が大きかったから、1年生でも3年生位に見えた。体格の割に気が弱くて、だから当時流行ったヤンキー漫画に憧れたんだと思う。
「ふっ・・全くもう」
あの夜。
彼女に騙されたと知って凹んでいるところに、仕事でもミスって最悪な気分だった。本気で好きになりかけていた相手だったから、裏切られたショックは大きかった。本当に胸が痛かった。
(あいつは、ツンツンドスドスと俺の胸元を指で突いて)
あれは、痛いの飛んでけ、だったのだ。
「全く・・・情けないにーちゃんでごめんな」
満月の夜に奇跡が起きて、死んだ者が一瞬甦るのであれば。
その貴重な一瞬を、俺を慰めるのに使うなんて。
俺はベランダに出た。
少し欠けた月が、俺を見ていた。
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