舞台の余韻に浸る間もなく 最後の挨拶はいらない

舞台が終わった瞬間、僕はいつもそのまま終わりたいと思う。劇中で見せてくれたキャラクターの魅力、その物語の余韻をしっかりと心に刻みたい。だけど、最後のキャストによるご挨拶が入ると、その余韻が一気に壊されてしまうように感じるんだ。劇が終わったら、そこで幕を引いて欲しい。それで完結で良くないか?なんでわざわざキャストが素に戻って、わざとらしいお礼や感想を話す必要があるんだろう。

もちろん、キャストが頑張っているのはわかるし、その努力を称えたい気持ちもわかる。けれど、僕にとっては舞台上の彼らはあくまでキャラクターとして存在していて、そのイメージを大切にしたい。わざわざ役を演じる姿から離れて「素」の姿を見せられると、せっかくの物語がぼやけてしまう。あのキャラクターのままで終わって欲しいと願うのに、最後の挨拶でそれが打ち砕かれることが多いんだ。

観客にとって、舞台のキャストがどれだけ努力したか、どんな思いで演じているかを知ることも重要かもしれない。でも、僕は劇が終わった瞬間、その物語の世界からさよならをするつもりで見ている。現実に引き戻されることなく、フィクションのままで完結させたい。そのキャラクターたちがどんな思いでそこにいたのか、どんな感情を抱えていたのか、それだけで十分なんだ。キャストの素顔は、その後のメディアやSNSで見られる。それを舞台上でやる必要はない。

正直、最後の挨拶を見てられない理由の一つには、その場の空気感が何か居心地悪く感じるというのもある。キャストが笑顔で手を振っている姿は、どこか作り物に見えてしまう。もちろん、それは彼らが観客に感謝しているのは伝わるけど、僕が見たいのはその感謝ではなく、物語の一部としての彼らなんだ。だから、劇が終わった瞬間、そのまま余韻に浸る時間が欲しい。キャストの最後の挨拶なんて無くても、十分に感動は伝わっているから。

演技が素晴らしければ素晴らしいほど、そのキャラクターに浸りたいし、現実を見せられるのは残酷に感じる時もある。演劇は現実逃避の場所であって、最後までその幻想を守りたいと思うのは、そんなにわがままなことなのだろうか?キャストの素顔が見たければ、別の場所でいくらでも見れる時代だ。舞台ではその世界観を最後まで大事にして欲しいと願うのが、僕の正直な気持ちだ。

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