浦川良太

ゲーム、アニメ、動画、ラジオ、ブログ、階段が大好きな男の子。 推しも嫁もいます! 楽しい事(嫌な事を避けながら)をしながら楽しんでます!! 毎日、明るく元気で過ごしたい!!!

浦川良太

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最近の記事

優しさが損をする世界の特権階級

優しさや善良さを信条にする人間が割を食い、性格が腐った人間が幅を利かせる光景は、現代社会で珍しいものではありません。優しい人間は、その名の通り「譲る」ことを美徳とし、自己犠牲を伴う行動を厭わない。それ自体は崇高であり尊敬に値するものの、皮肉なことに、そうした人々の「譲り」を当然の権利として利用する輩が多いのも現実です。こうして優しさは、「搾取可能な資源」として解釈される構造が生まれる訳です。 もし、社会の仕組みが大きなゲームだとすれば、腐った性格の持ち主はチートコードを使っ

    • 勇気のスキップ:AVにおける会話と倫理の板挟み

      AVを観る目的が何なのか、それを自分に問う瞬間がある。 「会話を楽しみたいなら、ラジオやYouTubeで良いじゃん」と思う自分がいる一方で、「いや、でも会話も作品の一部だろう」と葛藤する自分もいる。この矛盾を抱えたまま、結局はスキップボタンに手を伸ばす。その時、頭の中に浮かぶ言葉――「人は時に残酷なり」。 AVというのは、制作側の情熱と努力が詰まった作品だ。演者が台本を覚え、監督が構図を考え、スタッフが照明を調整し、ようやく完成する。その中には「会話」という重要なパーツも

      • 几帳面は老化に負ける:途中から始める人生の妥協術

        若い頃は何でも「最初から」が信条だった。計画を立て、順序を守り、完璧を目指す。それが几帳面な性格の誇りであり、生き方だった。だが、歳を取るにつれ気付いた。「最初からなんて、誰が保証してくれるんだ?」と。 途中から始めることに抵抗がなくなったのは、妥協でも成長でもなく、ただの疲れだ。全てを完璧に始めようとしても、世の中はそんな暇を与えてくれない。大河ドラマを1話から見ようと意気込んでいるうちに、話題は最終回で盛り上がり、気付けば「とりあえず今週の回から観ればいいか」となってし

        • スマホとラーメンとおっさんの憂鬱

          昼間に街のラーメン屋でふと目に入った、スマホを睨みつけながらラーメンをかき込むおっさん。せわしなく画面をスクロールする指、麺をすすり上げる音、湯気も味もそっちのけで画面に夢中だ。そんな姿を見て、「何をそんなに急いでるんだろうな」とつくづく思った。日々のタスクに追われ、目の前の一杯をじっくり楽しむ余裕もなく、ましてや手元のラーメンすら愛でることなくスマホ画面に吸い込まれているような…完成しきれない大人の哀れな図だな、と思った訳だ。 この状況、滑稽でしかない。せっかくの昼ご飯だ

          総集編という名の手抜き—尺稼ぎの魔術

          いや、総集編なんてものは本編の熱気をぶっ潰すだけの「見たくない名場面集」だよね。せっかく盛り上がった物語の流れを、「さぁ、ここで思い出に浸りましょう」なんて唐突に遮られて、視聴者の心も一気に冷めるってもんだ。本編の間に無理やり割り込む総集編、まるで見たくもないCMが入り続けるようなもんさ。で、何が悲しいって「これはファンのため」だなんて言われると、「いや、ファンだからこそ新作が見たいんだけど」って話な訳。 そりゃ制作側も大変なんだろうけど、それならいっそ「お休みです」って休

          総集編という名の手抜き—尺稼ぎの魔術

          容姿も魂も、どうせ似たようなもんだろ?

          「容姿は魂の容れ物」ねえ、確かにその通りかもしれない。例えば、嫌なやつは顔に出るし、素晴らしい魂の持ち主はちゃんと顔も整ってるってわけだ。でもさ、「心と体は繋がってるから、体を整えれば心も整う」って、結局、美容整形やら筋トレやらで体を磨けば、心まで磨かれるってことかい?世の中、どれだけ見た目だけで評価してくれるかって話よ。 そう考えると、案外みんな中身より見た目で評価してるもんだ。だから、心を磨きたいなら、まず見た目から変えろっていうお決まりのセオリーができあがる。ま、僕も

          容姿も魂も、どうせ似たようなもんだろ?

          「おめでたい情報過多」という名の幸福

          SNSが人の幸福度を下げている?そんな嘆き、実におめでたいな。知らなければ良かった情報が溢れている?おいおい、現代人は情報に溺れて喜ぶのが大好きなんじゃないか。自分のことを他人と比較して不幸だと感じる人々のために、SNSは最高のサービスを提供していると言っても過言ではないだろう。自らの手で自尊心を削り落とし、日々「他人のキラキラ人生」に目を奪われては勝手に傷ついているんだから、もはや自己管理の一環と言ってもいいだろうね。 人はSNSで情報を摂取し続け、幸福と不幸の間を揺れ動

          「おめでたい情報過多」という名の幸福

          ネットはクソ、それで正しいって?まぁ、少数派が叫ぶステージだもんな

          ネットが「クソ」だって?そりゃ結構なことです。むしろこのまま突っ走るべきなんじゃないですか?少数派が声デカいって話だけど、まあ彼らにしたら、それが唯一の「ステージ」なんだから許してあげるべきでしょう。だって、現実では通用しない意見がネットではエコーかかるんだから、さぞ居心地いいことでしょうよ。 それに、ネットで暴れて推しが傷つくとか言うけど、推しがもし本当に強い「推し」なら、その程度の雑音で動じないんじゃないですかね?ネットの中だけで声が大きい人たちなんて、要は「影」みたい

          ネットはクソ、それで正しいって?まぁ、少数派が叫ぶステージだもんな

          評価する目も無いのに、評論家気取りが多すぎるぜ?

          世の中の99%の人間は「モノや人を適切に評価する」能力なんて持ち合わせちゃいない。ま、オレもその一人かもしれないがな。けど笑っちまうのが、そんな評価眼もない連中に限って、やたらと評論家気取りで他人をジャッジしたがるってことだ。そいつらが何かを評価する姿って、さしずめ色盲がカラーチャートを見てるようなもんじゃないか? よくわかっちゃいないものを分かった気で話す。そうして流れる評価の安っぽさ、何もかもを浅く薄めた雑な意見。そりゃ、良いものも見落とされて、クズみたいなモノが妙にチ

          評価する目も無いのに、評論家気取りが多すぎるぜ?

          舞台「ロッカールームに眠る僕の知らない戦争」:大学生たちが辿る、知られざる記憶の軌跡

          舞台「ロッカールームに眠る僕の知らない戦争」は、大学生の主人公たちが、あるきっかけで過去の戦争にまつわる記憶と向き合い、無意識に遠ざけていた「歴史」と対話する物語です。このタイトルには、彼らが日常の陰に隠れていた記憶や葛藤に「眠る」戦争の影を再発見するというメタファーが込められていると感じました。 大学生である彼らは、日々の勉強やバイト、友人関係に忙殺されている中で、過去の戦争や社会問題について深く考えたことがありません。しかし、ふとした出来事から先人たちが経験した戦争に触

          舞台「ロッカールームに眠る僕の知らない戦争」:大学生たちが辿る、知られざる記憶の軌跡

          選挙広告もブルーオーシャン?サブスク感覚で政治を消費する時代

          とうとうYouTubeにも選挙の広告が溢れるようになったが、どうやら「ブルーオーシャン」だとでも思ったのだろうか?皆が暇つぶしに楽しんでいるプラットフォームに、こんなところでわざわざ宣伝しにくるっていうのは、逆に哀愁すら漂う訳だ。政治家も必死に「ポチッとサブスク」されるのを待ってるかのようで、なんとも言えない“時代”を感じるね。 まあ、選挙もサブスクと似たようなもんで、一回契約したら次の更新までほったらかしってことだ。政治をサブスク感覚で消費する世の中に、そうそう真剣に関心

          選挙広告もブルーオーシャン?サブスク感覚で政治を消費する時代

          沈黙を破る夜、微かなトキメキの足音

          気分がどんよりした一週間だった。 何をしても心が晴れない。まるで鉛のように重たい気分が、心にのしかかっている。 朝が来て、仕事に向かい、帰宅してまた夜を迎える。 同じルーティンを繰り返しても、何かが足りない、何かが空虚だ。 そんな日々の中で、僕を救ってくれたのは、ラジオだった。 特に、あの芸人さんたちの深夜のトーク。 夜更けに響く、軽妙な掛け合い、テンポの良いボケとツッコミ。 さりげない笑いの中にある温かさが、静かに、けれど確実に、僕の気分を引き上げていく。

          沈黙を破る夜、微かなトキメキの足音

          俺か、俺以外か?いや、そもそも俺以外に何がいるんだ?

          ローランド様の「俺か俺以外か!」のテンションは、まさに人生の教科書だ。そもそも、この世に「俺」以外の価値ある存在がいるとでも思ってるのか?謙虚さなんて、まあ、時代遅れのファッションみたいなもんだ。謙虚に見せかけてる奴らは、結局、自分のオーラを隠そうとしてるだけなんだよね。そのギャップ?いや、そりゃ「キモい」なんてもんじゃない。むしろ、滑稽さの極みだよ。 本音を出せってことだろ?じゃあ、俺も遠慮なく言わせてもらうけど、人生はまさに「俺か俺以外か」の選択肢しかない。俺以外の奴ら

          俺か、俺以外か?いや、そもそも俺以外に何がいるんだ?

          『ゼロの使い魔』朗読版を聴いて:魔法と冒険の新たな体験

          ヤマグチ ノボル様の『ゼロの使い魔』の朗読版を聴かせていただき、改めてこの作品の魅力を実感しました。まず、朗読という形で物語に触れると、紙媒体で読むのとは違う没入感が得られました。ルイズと平賀才人のやり取りや、彼らが織りなす冒険に、声の力が加わることで、より生き生きと感じられます。特にルイズのツンデレな性格が声を通じてさらに強調され、彼女の魅力がより鮮明に伝わってきました。 また、物語の世界観やキャラクターたちの感情が、朗読者の声色や間の取り方によってしっかりと表現されてお

          『ゼロの使い魔』朗読版を聴いて:魔法と冒険の新たな体験

          永遠の青春はどこへ?—推しがアラフォーになっていく恐怖と現実逃避の狭間で

          推しや好きな人がアラフォーに差し掛かる。これ、まるで人生最大のサスペンスホラーじゃないか。どんなに可憐で、どんなに完璧な存在でも、時間の流れには逆らえない。まるでタイムマシンに乗り込んだつもりで振り返ると、彼女たちの輝かしい20代はもう遠い過去に。気づけば「アラフォー」というステージに立っている。その瞬間、頭に浮かぶのはただ一つ――終わり。まさに未曾有の恐怖。 ブラックユーモアを添えれば、こう言えるだろう。「青春は永遠だと思ってた? それは、俺たちが自分の推しを時間の流れか

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          人材枯渇時代:選択肢なき未来と捨てられない人々

          「人間なんて捨てるほどいる」――かつては気軽に口にできたこの言葉も、少子化の進行と共に、どうやら時代遅れのフレーズになりつつある。人口減少が進む現代社会では、人間をあれこれ選べる時代が終焉を迎えつつあり、「選ぶ立場」にいると信じていた愚か者たちが、徐々にその現実を突きつけられている。僕も、その皮肉な状況に対して、笑いを隠しきれない。 少子化の影響で、労働力、パートナー、そして人間関係そのものが希少資源と化しているのだ。かつては「無駄な人間」や「代わりの効く存在」として見下さ

          人材枯渇時代:選択肢なき未来と捨てられない人々