浦川良太

ゲーム、アニメ、動画、ラジオ、ブログ、階段が大好きな男の子。 推しも嫁もいます! 楽し…

浦川良太

ゲーム、アニメ、動画、ラジオ、ブログ、階段が大好きな男の子。 推しも嫁もいます! 楽しい事(嫌な事を避けながら)をしながら楽しんでます!! 毎日、明るく元気で過ごしたい!!!

最近の記事

総集編という名の手抜き—尺稼ぎの魔術

いや、総集編なんてものは本編の熱気をぶっ潰すだけの「見たくない名場面集」だよね。せっかく盛り上がった物語の流れを、「さぁ、ここで思い出に浸りましょう」なんて唐突に遮られて、視聴者の心も一気に冷めるってもんだ。本編の間に無理やり割り込む総集編、まるで見たくもないCMが入り続けるようなもんさ。で、何が悲しいって「これはファンのため」だなんて言われると、「いや、ファンだからこそ新作が見たいんだけど」って話な訳。 そりゃ制作側も大変なんだろうけど、それならいっそ「お休みです」って休

    • 容姿も魂も、どうせ似たようなもんだろ?

      「容姿は魂の容れ物」ねえ、確かにその通りかもしれない。例えば、嫌なやつは顔に出るし、素晴らしい魂の持ち主はちゃんと顔も整ってるってわけだ。でもさ、「心と体は繋がってるから、体を整えれば心も整う」って、結局、美容整形やら筋トレやらで体を磨けば、心まで磨かれるってことかい?世の中、どれだけ見た目だけで評価してくれるかって話よ。 そう考えると、案外みんな中身より見た目で評価してるもんだ。だから、心を磨きたいなら、まず見た目から変えろっていうお決まりのセオリーができあがる。ま、僕も

      • 「おめでたい情報過多」という名の幸福

        SNSが人の幸福度を下げている?そんな嘆き、実におめでたいな。知らなければ良かった情報が溢れている?おいおい、現代人は情報に溺れて喜ぶのが大好きなんじゃないか。自分のことを他人と比較して不幸だと感じる人々のために、SNSは最高のサービスを提供していると言っても過言ではないだろう。自らの手で自尊心を削り落とし、日々「他人のキラキラ人生」に目を奪われては勝手に傷ついているんだから、もはや自己管理の一環と言ってもいいだろうね。 人はSNSで情報を摂取し続け、幸福と不幸の間を揺れ動

        • ネットはクソ、それで正しいって?まぁ、少数派が叫ぶステージだもんな

          ネットが「クソ」だって?そりゃ結構なことです。むしろこのまま突っ走るべきなんじゃないですか?少数派が声デカいって話だけど、まあ彼らにしたら、それが唯一の「ステージ」なんだから許してあげるべきでしょう。だって、現実では通用しない意見がネットではエコーかかるんだから、さぞ居心地いいことでしょうよ。 それに、ネットで暴れて推しが傷つくとか言うけど、推しがもし本当に強い「推し」なら、その程度の雑音で動じないんじゃないですかね?ネットの中だけで声が大きい人たちなんて、要は「影」みたい

        総集編という名の手抜き—尺稼ぎの魔術

          評価する目も無いのに、評論家気取りが多すぎるぜ?

          世の中の99%の人間は「モノや人を適切に評価する」能力なんて持ち合わせちゃいない。ま、オレもその一人かもしれないがな。けど笑っちまうのが、そんな評価眼もない連中に限って、やたらと評論家気取りで他人をジャッジしたがるってことだ。そいつらが何かを評価する姿って、さしずめ色盲がカラーチャートを見てるようなもんじゃないか? よくわかっちゃいないものを分かった気で話す。そうして流れる評価の安っぽさ、何もかもを浅く薄めた雑な意見。そりゃ、良いものも見落とされて、クズみたいなモノが妙にチ

          評価する目も無いのに、評論家気取りが多すぎるぜ?

          舞台「ロッカールームに眠る僕の知らない戦争」:大学生たちが辿る、知られざる記憶の軌跡

          舞台「ロッカールームに眠る僕の知らない戦争」は、大学生の主人公たちが、あるきっかけで過去の戦争にまつわる記憶と向き合い、無意識に遠ざけていた「歴史」と対話する物語です。このタイトルには、彼らが日常の陰に隠れていた記憶や葛藤に「眠る」戦争の影を再発見するというメタファーが込められていると感じました。 大学生である彼らは、日々の勉強やバイト、友人関係に忙殺されている中で、過去の戦争や社会問題について深く考えたことがありません。しかし、ふとした出来事から先人たちが経験した戦争に触

          舞台「ロッカールームに眠る僕の知らない戦争」:大学生たちが辿る、知られざる記憶の軌跡

          選挙広告もブルーオーシャン?サブスク感覚で政治を消費する時代

          とうとうYouTubeにも選挙の広告が溢れるようになったが、どうやら「ブルーオーシャン」だとでも思ったのだろうか?皆が暇つぶしに楽しんでいるプラットフォームに、こんなところでわざわざ宣伝しにくるっていうのは、逆に哀愁すら漂う訳だ。政治家も必死に「ポチッとサブスク」されるのを待ってるかのようで、なんとも言えない“時代”を感じるね。 まあ、選挙もサブスクと似たようなもんで、一回契約したら次の更新までほったらかしってことだ。政治をサブスク感覚で消費する世の中に、そうそう真剣に関心

          選挙広告もブルーオーシャン?サブスク感覚で政治を消費する時代

          沈黙を破る夜、微かなトキメキの足音

          気分がどんよりした一週間だった。 何をしても心が晴れない。まるで鉛のように重たい気分が、心にのしかかっている。 朝が来て、仕事に向かい、帰宅してまた夜を迎える。 同じルーティンを繰り返しても、何かが足りない、何かが空虚だ。 そんな日々の中で、僕を救ってくれたのは、ラジオだった。 特に、あの芸人さんたちの深夜のトーク。 夜更けに響く、軽妙な掛け合い、テンポの良いボケとツッコミ。 さりげない笑いの中にある温かさが、静かに、けれど確実に、僕の気分を引き上げていく。

          沈黙を破る夜、微かなトキメキの足音

          俺か、俺以外か?いや、そもそも俺以外に何がいるんだ?

          ローランド様の「俺か俺以外か!」のテンションは、まさに人生の教科書だ。そもそも、この世に「俺」以外の価値ある存在がいるとでも思ってるのか?謙虚さなんて、まあ、時代遅れのファッションみたいなもんだ。謙虚に見せかけてる奴らは、結局、自分のオーラを隠そうとしてるだけなんだよね。そのギャップ?いや、そりゃ「キモい」なんてもんじゃない。むしろ、滑稽さの極みだよ。 本音を出せってことだろ?じゃあ、俺も遠慮なく言わせてもらうけど、人生はまさに「俺か俺以外か」の選択肢しかない。俺以外の奴ら

          俺か、俺以外か?いや、そもそも俺以外に何がいるんだ?

          『ゼロの使い魔』朗読版を聴いて:魔法と冒険の新たな体験

          ヤマグチ ノボル様の『ゼロの使い魔』の朗読版を聴かせていただき、改めてこの作品の魅力を実感しました。まず、朗読という形で物語に触れると、紙媒体で読むのとは違う没入感が得られました。ルイズと平賀才人のやり取りや、彼らが織りなす冒険に、声の力が加わることで、より生き生きと感じられます。特にルイズのツンデレな性格が声を通じてさらに強調され、彼女の魅力がより鮮明に伝わってきました。 また、物語の世界観やキャラクターたちの感情が、朗読者の声色や間の取り方によってしっかりと表現されてお

          『ゼロの使い魔』朗読版を聴いて:魔法と冒険の新たな体験

          永遠の青春はどこへ?—推しがアラフォーになっていく恐怖と現実逃避の狭間で

          推しや好きな人がアラフォーに差し掛かる。これ、まるで人生最大のサスペンスホラーじゃないか。どんなに可憐で、どんなに完璧な存在でも、時間の流れには逆らえない。まるでタイムマシンに乗り込んだつもりで振り返ると、彼女たちの輝かしい20代はもう遠い過去に。気づけば「アラフォー」というステージに立っている。その瞬間、頭に浮かぶのはただ一つ――終わり。まさに未曾有の恐怖。 ブラックユーモアを添えれば、こう言えるだろう。「青春は永遠だと思ってた? それは、俺たちが自分の推しを時間の流れか

          永遠の青春はどこへ?—推しがアラフォーになっていく恐怖と現実逃避の狭間で

          人材枯渇時代:選択肢なき未来と捨てられない人々

          「人間なんて捨てるほどいる」――かつては気軽に口にできたこの言葉も、少子化の進行と共に、どうやら時代遅れのフレーズになりつつある。人口減少が進む現代社会では、人間をあれこれ選べる時代が終焉を迎えつつあり、「選ぶ立場」にいると信じていた愚か者たちが、徐々にその現実を突きつけられている。僕も、その皮肉な状況に対して、笑いを隠しきれない。 少子化の影響で、労働力、パートナー、そして人間関係そのものが希少資源と化しているのだ。かつては「無駄な人間」や「代わりの効く存在」として見下さ

          人材枯渇時代:選択肢なき未来と捨てられない人々

          アーティストは天才、でもプライベートはブラックボックスでお願いします

          ああ、そうそう、「人間性と作品は別にしよう」ってよく言うよね。確かに、誰もがアーティストやクリエイターの全人格を見たいわけじゃない。作品さえ良ければ、プライベートで何してようが関係ないって言いたいけどさ、世間はなぜかいつもその「禁断の扉」を開けたがるんだよな。まるで、映画のラストシーン見た後に、エンドロール飛ばしてキャストの家の中を覗きに行くみたいな感覚だろうか。いや、踏み込まないでくれって話だよ。 実際、素晴らしい作品を作る人が必ずしも「素晴らしい人間」だとは限らないんだ

          アーティストは天才、でもプライベートはブラックボックスでお願いします

          脳内ハードディスクが容量オーバーしてるけど、誰がソフトウェア更新してくれるんだろう?

          まあ、まず最初に「記憶を紡ぐ」って何だよってツッコミを入れたいね。そもそも、紡ぐほどの記憶容量があれば、ここで悩んでない訳で。U-NEXTみたいに一気見するのが好きな自分にとって、リアルタイムでアニメやドラマを追うってのは、正直なところ、脳内のバッファをどれだけ使うかっていう「自爆ゲーム」みたいなもんなんだよな。日常の雑務と脳みその「ストレージ容量」は既にフル稼働、追加インストールとかムリゲーな状況なのに、毎週1話ずつ放送されるリアルタイムのアニメやドラマを見続けるとか、誰が

          脳内ハードディスクが容量オーバーしてるけど、誰がソフトウェア更新してくれるんだろう?

          無駄なことばかりしてるから、みんな話が尽きないんだよね。素敵な時間の浪費術!

          自分の話題が全然ないって気づく瞬間って、ちょっと滑稽だよね。周りを見渡せば、みんな面白そうな話題を次から次へと出して、まるで話が尽きない。そう考えると、俺は何してるんだろうな、ってふと虚無感に襲われるんだよ。でもさ、考えてみれば、そんな話題が生まれるのって、大抵「無駄なこと」をしてるからじゃないか?無駄なことばっかりやって、話のネタが自然と作られてる。それって…なんて効率の悪い生き方だろうね。 例えば、誰かが「昨日さ、めっちゃ遠回りしてコンビニ行ったんだよ」って得意げに話し

          無駄なことばかりしてるから、みんな話が尽きないんだよね。素敵な時間の浪費術!

          子供がもたらす“満足”という名の鎖――自分を見失う親たちへ

          ほう、「家族と過ごすことで十分満たされる」と来ましたか。まぁ、確かに子供って一種の最強コンテンツですからね。予測不能のミニモンスターと四六時中一緒にいれば、それはさぞかし刺激的で満足でしょうとも。しかし、これを「満足」と呼ぶのか、それともただ自分の選択肢が物理的に減った結果、脳が勝手に順応してるだけなのか、その辺は少し冷静に考えた方がいいんじゃないですかね? 確かに子供がいると、毎日がサバイバル。友達付き合いなんてしてる余裕も無ければ、趣味に没頭する時間も奪われます。それを

          子供がもたらす“満足”という名の鎖――自分を見失う親たちへ