伴侶は介護増し増し? それとも人生のおまけ付き?

なるほどね、「伴侶を作っても結局、親の介護が2倍になるだけだから子どもを作れ」ってことか。いや、すごいな。まるで人生は介護のシミュレーションゲームみたいな言い方だね。人生後半で詰むかどうかは、まさに誰が介護してくれるかの問題だって訳か。

でも、ちょっと待ってくれ。伴侶がいると介護の負担が2倍になる?それは面白い発想だよね。いやいや、むしろ介護が2倍になるなら、逆に分担できて楽になるんじゃないか?もちろん、どっちも同時に倒れたら…それは「介護地獄の2倍盛り」ってところか。まあ、それも一種のスリルだよね。パートナーとの絆を深めながら、どっちが先に倒れるかっていう「介護デスレース」。どうだ、ちょっとワクワクしてこない?

そして「本当に作るべきは子ども」って?いやいや、確かに子どもがいれば後半戦の助っ人として期待できるかもしれない。でも、子どもも自分の人生があるから、下手したら老後に「親ガチャ失敗」なんて言われるかもしれないぞ。気づけば、子どもも俺たちも、全員詰んでるってオチになりかねない。

そもそもさ、人生って詰むとか詰まないとかで語るほど単純なもんじゃないだろ?伴侶がいることで得られる幸せや支えは、数字や負担では測れないんだよ。介護の負担だけが人生の全てじゃない。伴侶と過ごす時間や、共に乗り越える困難には、何倍もの価値があるはずなんだよ。介護が2倍でも、楽しみも2倍、そして何より一緒に笑い合える時間だって2倍に増える。

だからね、「詰む」とか「負担」とかそんな言葉に囚われるよりも、人生のパートナーを見つけることの意味を少し考えた方がいいんじゃないか?子どもを作ることも大事だけど、人生の伴侶はただの「介護要員」じゃなくて、「人生を共に楽しむ相棒」なんだからさ。

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