自由の名を借りた不自由〜ゲームと現実の残酷なシナリオ〜

何事も、思い通りにいかないものほど腹立たしいものはない。ゲームというのは本来、私たちの手の中にあるはずの世界。キャラクターを操作し、道を選び、決められた範囲内で勝利に向かう――なんて話じゃなかったのか?現実がクソみたいなもんだからこそ、ゲームの中でくらい思い通りにさせてほしい。そう、せめてこの仮想の世界くらいは「俺が神」って思いたいもんだ。

だが、そんな理想は儚くも崩れ去る。ゲームは突然の難関を投げつけ、スムーズに進むはずのストーリーをめちゃくちゃにしやがる。「なんでこの敵がこんなに強いんだよ?」って?答えは簡単さ。開発者たちがあなたを試してるんだ。「君は耐えられるかな?このクソ難易度に?」とね。いや、そんな試練いらない。私はただ、ストレス解消のためにゲームをしているのに、なぜ逆にストレスを貯めさせられているんだ。

現実も同じだ。思い通りに行かないことの連続。会社では上司が「自由にやっていい」と言いながらも、実際には無数の見えない制限が張り巡らされ、結局は奴らの望む結果しか許されない。人間関係?もう、言わずもがな。自分が誠実に接していれば皆同じように接してくれる、なんて幻想だ。現実は「相手に期待しない」が唯一の生存戦略。努力が報われる?冗談もほどほどにしてほしい。

ゲームも現実も、どちらも選べる自由を謳っているくせに、その実、結果はあらかじめ決められている。「自由」とは名ばかりの不自由。進む道を選べと言われて、そのどれもが地獄のような選択肢しかない。どちらを選んでも、結局待っているのは苦痛か徒労感。これが、我々が与えられた「選択の自由」というものか?

いや、笑っちゃうよね。だって、選ばせる側が最初から選択肢を限定して、選ぶ側を追い詰めてるんだから。ブラックジョークとしては完璧だ。シナリオを書いた奴はきっと笑いが止まらないだろうさ。「俺が作ったこの理不尽をどう攻略する?」なんてね。

結局、ゲームも現実も、どちらも似たようなもんだ。自分の思い通りになんて、いかない。いや、むしろ自分の思い通りにいく世界なんて、幻想でしかない。そんな幻想を持つだけ無駄だ。だが、それでもなお、私たちは「もしかしたら次こそは」と思って挑む。そのたびに失敗して、イライラし、そしてまた同じことを繰り返す。

これが人生ってやつだ。楽しくないか?

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