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【雑記】本番の後に基礎の振り返りをしても良いって思う話

前置き

「なんかこの話題似てるな」と思って書いただけなので、たぶん人によってかなり違うぞ!

先に個人的な結論(意見)

 タイトルにはやや短くして書きましたが、「練習の前に、とりあえず本番にしてみて、苦手を振り返り、その克服として基礎練習をする」のがより良い、と思っています。

「とにかく描け」について

 最近、(恐らく米ドキュメンタリー番組とかの)台詞コラ画像などで話題になっている「とにかく描け(書け)」とだけ言う風潮があります。
 個人的な意見としては「実際、それはそう」と思って支持しているので、始めたばかりのお絵かきも「ゼロからのスタートはまずデッサンから」という入り方をしています。

 ただ、その「なぜ?」に対する答えとして、「当たり前ではあるけど、興味深いな」と思ったことがあります。それは、どの分野でも「酷く退屈で時間がかかるが、とにかく繰り返して練習するべきこと」というものがあるんだな、という発見でした。

「基礎」と呼ばれるものは色んなところにある

 覚えているそれぞれの分野で言われているもので、基礎と言われている(と感じるもの)について挙げてみるとこんな感じでしょうか。

● イラスト:デッサン・構図の練習
● 小説:プロット、あるいは商業作品・他作品を読む
● ピアノ:バイエルやハノン
● ジャズのアドリブ:コピーして苦手な部分を練習する
● 将棋:詰め将棋・囲いなど戦法の練習

 そして、これにはいずれも「丸々コピーするのではなく、手に馴染ませて無意識に出せるようになること」とも補足されることがあると思います(そうとも限らないかもしれない。例えば天才的な才能をもっていて、観察しただけで言語化する前にスキルとして吸収できる、とか)。
 なぜそれをするかというと、簡単に出来ていると思いがちな技術というものは意外と沢山の要素を含んでいて、目新しいものは『既存のもの同士の新しい組み合わせ』だったり『以前流行ったものをアレンジした』ものであることも、まあまあよくあることだからです。

 「基礎というのは、繰り返して実践の中で「考えずとも使える」状態になるものである」という話を、通っている音楽教室のジャズ科の先生から言われたばかりでした。そういうタイミングでこういう話で盛り上がっていたので、書きたくなったのがこの記事でした。

「じゃあ基礎をやっていないけど出来ている人は?」って意見への考え

 こう書いてしまうと「だってあの絵描きさん落書きだっていって本気の絵出してるじゃん」みたいな意見をカバー出来ないのです。

 しかし、その意見に返答するのであれば、「実践の中でちゃんと苦手に気付いていたりするし、そこを直したりしている」という話や、「意外とボツにしているラフや『落書き』が公開されるのもたまーに見かける」と例を挙げられる気がします。

 他の方のツイートを引用します。

 そして、ここに挙げたツイートの、特に右側のように「たまに本番も描くので自分の苦手に気がつける」「苦手を無くすために練習をしている」とされているように、描いていて「ここ時間かかるな」「身体の構造どうなってるんだ?」と思った部分を、表に出さないけれど練習している(あるいは落書き止まりのなかで考えている)のだと思っています。

過去作を見たくない創作者

 他方で、過去作を見たときに粗が目についてそっと削除する、なんて人もいます。
 振り返ったときに「こうじゃない」に気付けるのもまた大事なので、とにかく本番を描いていって後で振り返ってみる(恥ずかしくても)のも大事なのだと思います。
 それは、ちゃんと正解や理想が頭の中にあって、理想との差に気付けているからと考えます。小説であれば推敲(これは誤字脱字の単純ミスを探すという面も強いですが)したり、一晩おいて創作の熱を冷ましたところで振り返る、なんてこともします。

 なので、練習の前に、とりあえず本番にしてみて、苦手を振り返り、その克服として基礎練習をする」のがより良い、というのが、ここでの自分の意見になります。

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