「毎日がおいしい」は幸せの極意 #2 |「ええかげん」は「いい加減」な朝食
若かった頃には分からなかったことが、歳を重ねると分かるようになる。
「あの頃の自分が、このことを理解していればなぁ」
と思っても、きっとその時には気付くことはできても、実感出来なかった。
今、僕たちの毎日は、「ええかげん」がちょうど「いい加減」。
これも、若かった頃には分からなかったことだ。
今回は、そんなことを思える僕が作るサンドウィッチの話。
言葉では理解できても実感できないこと
その言葉は、何気なくテレビを見ていた時、ふっと聞こえてきた。
「ええかげんでええよ」
ある芸能人が出演する、旅番組で訪れた瀬戸内のある島に住んでいるおばあさんの一言だった。
その芸能人は、あることで疲れ果て、一時芸能活動を休んでいたことがあり、復帰してしばらくたってからの番組だった。
僕は、その一言でふっと心が軽くなった気がした。
いつだったかは覚えていない。しかし、経営する会社のことなど、いろんなことで気持ちが疲れていた時だと思う。
彼女も一緒に見ていて、この言葉にうなずいていた。
きっと、若かった時にはピンと来なかったかも知れない。
でも、人生は「ええかげん」くらいのほうが幸せなのだろうと、腑に落ちたのだ。
例えば、毎日掃除をしなければ気が済まない人がいるとする。その人は、掃除をし忘れた日には、ひどく自分を責めるだろう。
しかし、1日くらい掃除しなかったからといって、死ぬわけではない。
あるいは、毎日会社に行くことが正しいと思い込んでいるため、会社勤めではない人を「仕事もしないで、何をしている人かしら?」と思うかもしれない。
だが、会社に行っていなくても、所得があれば生きていける。特に今は、会社などいつ潰れるか分からない世の中だ。会社勤めが、果たして正しい生き方なのか。
また、「男性は稼いでくるもの、女性は家を守るもの」という、多様性とは真逆の考え方にいつまでもとらわれている男性は、女性の方が所得が多いことに劣等感を覚えることが多い。
独立起業した会社の経営が厳しくなった時、彼女が言った。
「お金なんて、どちらかが出せば、ふたりで生活できるじゃない?」
つまり、ふたりで生活しているなら、必ず男性が稼がなければならないということではなく、生活費はどちらかが余裕がある時に出せばいい、ということだ。
その一言に、ずいぶんと救われた。
「そうか、必ず男が稼がなくてもいいのか…」と。
社会に出た時からずっと、人は世の中の定説的なことにとらわれすぎている。
しかし、それを一度忘れて、気持ちを軽くすることができる言葉が、「ええかげんでええよ」なのかもしれない。
相手はとって食うわけじゃない
もうひとつ、ずっと心に残っている言葉がある。それは、まだ会社勤めだった頃のこと。
海外との取引が難航し、どうやって交渉すれば、自分の会社の損害を少なくできるだろう、という局面だった。不利な状況のこちらを、相手もつついてくる。僕は、かなりテンパっていた。
その時、いろいろな意味で反面教師としている上司は、僕に向かってこう言った。
「なにも、相手は君をとって食うわけじゃないよ。」
つまり、
「君は会社を代表して交渉しているけれど、けして会社全体を背負っているわけではない、気楽に行け!」
ということだった。
確かに、もしかしたら多額の損害が出るかもしれない交渉ごとを、いち社員が全部背負うわけではない。そしてもちろん、そのことで命を落とすわけでもない。
たかが、会社と会社の単なる取引だ。
正直なところ、この「反面教師」の上司のことは、色々な意味で今でも受け入れることができない人物だったが、こう声をかけてくれたその時だけは、この上司に救われた気がした。
結果は、損害を最小限に食い止められたところで終わった。その損害は、もちろん社員個人が背負うことはなかった。
この言葉も、「ええかげんでええよ」と近いものがある。こう思えるということも、若い時には実感できないかもしれない。そして、歳を重ねるごとに、じわじわと実感してくるものだ。
気楽に、ええかげんに生きることは、精神的にも健康的かもしれない。
ええかげんだけど美味いサンドウィッチ
前回書いた通り、ふたりの生活では、僕は適当、彼女は几帳面な性格だが、なんとかそれでもやっている。
調理は彼女が担当するが、朝食だけは僕の出番だ。
ホームベーカリーを購入して10年以上経つが、それ以来パンを焼くことは僕の担当、そしていつの間にか、焼き立てのパンを使って用意する朝食も、僕の担当となった。
もともと、僕は朝はパン派、彼女はごはん派だが、僕が作るサンドウィッチは食べてくれる。
大したものではない。
1斤から、サンドウィッチ用の薄いパンが9枚(3日分)、両端が2枚取れる。そのサンドウィッチ用にスライスした薄いパンを3枚使い、
一層目はスライスチーズ、ハム、酢漬けした玉ねぎ、きゅうり、レタスとマヨネーズ、
2層目はゆで卵を潰して、マヨネーズとトリュフ塩で和え、その上に薄切りのトマト
を挟んだサンドウィッチを、毎日「半分こ」して食べる。
サンドウィッチの作り方は、超「ええかげん」だ。卵の和え具合は適当なので、毎日味が変わるが、大体美味しい。
自宅で焼いた食パンは、サンドウィッチ用にスライスしても、両端はちょっと厚くなる。その時は、端のパンを使ってピザトーストにする。
これくらいなら、料理ができない僕でもできるようになった。
10年くらい、ほとんど朝のメニューは変わらない。時々、変わったサンドウィッチも食べたいと思うが、材料や作り方を考えるのも面倒くさいので、同じ具材で作る。
この後、ヨーグルトにアプリコットと蜂蜜を入れたもの、チョコレートを少し、そしてスムージーとヤクルトを飲んでいる。スムージーは彼女の出番だ。
これも10年くらい変わらない。きっと、これからも変わらないのかもなぁ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?