「毎日がおいしい」は幸せの極意 #3|きょう、何食べる?
劇場版「きのう何食べた?」が公開された。
TVドラマの時からよく見ていたので、ぜひ劇場でも見てみたい。
ところで、世の家庭では、晩ごはんメニュー論争があるらしい。
「きょう、何食べたい?」
と聞くと、
「何でもいい」
と返ってくるのが腹立たしく、よく喧嘩になるそうで・・・。
聞くところによると、メニューを決めることが最も労力を必要とするらしく、料理をしない者にとっては、それを理解していないことが原因のようだ。
こういうときは、単純だけど「いっしょに考える」のがいいんじゃないかな?
「何でもいい」は禁句
以前は、僕も
「何でもいい」
をやらかしていた派だった。まだ、サラリーマンをしていた頃だ。
毎日の通勤と残業や飲み会で夜遅くなることが多く、食べられないかも知れない、うちでの食事を考える余裕はなかった。
連絡をせずに、彼女の作った夕食が徒労に終わったこともある。
仕事中に電話で聞かれたときには、思わず「何でもいい」を発してしまう。
お察しの通り、これが原因で、よくけんかになった。ひどいときは、一週間くらい仲直りできないことも。
でも、仲直りのきっかけも「ごはん」。
その頃の僕が作れるものといったら、電子ジャーで炊くごはんと味噌汁くらい。
くちをきいてくれない彼女に、炊いたごはんでおにぎりを作り、なんとなくな味噌汁を添えて、
「一緒に食べよう」
と言う。
喧嘩の間、ろくな食事もしていなかったので、おにぎりでもご馳走だ。
無言のまま、二人でおにぎりを食べているうちに、少しずつ会話が再開する。
「味噌汁の出汁が効いていない」
「おにぎりがしょっぱすぎる」
といったいったダメ出しのうちに、
「しょうがないなぁ」
となる。やっと仲直りだ。
エリザベス女王の言葉
僕は料理はしない、というかほぼできない。
前回書いた通り、朝だけは、料理をしない僕が作るサンドウィッチがほとんど。そして、昼・晩ごはんはもっぱらパートナーの彼女が作ってくれる。
食事のメニューについて、二人で悩むことはあるが、そのことで滅多に喧嘩になるようなことはない。
なぜなら、今のこの関係性にあるのは、「相手への尊重」があるから。
以前、EU離脱の是非を問う協議で議会が対立していた頃、クリスマスの挨拶の中で、エリザベス女王が
「立場や視点の異なる者同士が、お互いを尊重し敬意をもって接すること」
を強調した。短いけれども、全世界に、またあらゆる境遇に直面している人たちに共通する言葉に感じた。
参考までにその時のあいさつの記事を以下に載せておく。
https://www.bbc.com/japanese/video-46683178
会社勤めの頃は、とにかく仕事で稼いでくることが一番だと思っていた。
結婚もしていないのに、食事は女性が作ってくれるもの、それならメニューを考えてくれるのも女性、と思い込んでいた。
しかし、決してそんなことはない。
料理できないのなら学べばいいし、たとえ料理をしなくても、「今日はこんなのを食べよう」と提案することはできる。
そこに、相手を尊重しあう関係がなければ、長続きはしない。
ロールキャベツからイタリアン天津飯
なにしろ、彼女は料理が上手。
栄養価も考え、余った食材や残り物も、あざやかに違うメニューに生まれ変わらせることができる。
エリザベス女王の言葉ではないが、そこには僕からの絶対的な尊重がある。
だから、メニューを考えるときは、
「そういえば、◯◯が冷蔵庫にあったね、あれで何かできない?」
と提案してみる。
すると、思っていた通りの展開が生まれるのだ。
先日、ロールキャベツを作ってくれたとき、おいしいスープだけが残った。
うちのロールキャベツは、トマト味だったり、コンソメ味だったりするが、今回はコンソメ味の方。そこに、キャベツの中の挽肉の旨味が加わっている。
スープだけでも二人前はありそうなくらいだったので、翌日のお昼に、
「このスープを冷や飯にぶっかけたら美味そうだね」
と言ってみた。すると、
「じゃあ、このスープを使って、イタリアンな天津飯にしようか?」
と返ってくる。
この展開、僕には到底無理だ。
そして出来上がったのが、コレ。
この天津飯、ベーコンと卵とパルメザンチーズを混ぜた、カルボナーラ風。そこにネギを載せたもの。
この展開、やっぱり僕にはムリ。
昼間から、キリッと冷えた白ワインでも飲みたくなる味には、尊重というより尊敬しかない。
こういうふうに、二人で毎日のメニューを考えるのは、むしろ楽しいことと思える。
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