【はじめに】雨の溜り場とは(noteの裏アカをつくった理由)
当アカウントは普段 #読まれないnote を掲げ、
読まれないことを前提に、
読み手を意識せず記事を投稿している。
そんななかでこの記事は唯一、
当アカウントを訪れてくださった皆さまへ向けて、
読んでいただくことを前提に書く記事だ。
まず以下が当アカウントの現プロフィール。
(※2023.01現在)
※このアカウントは投稿専用です。スキやコメントはお返ししていません。
お高くとまっているなと思われるかもしれない。
けれど、これはこの裏アカウントを当初の目的のもとに続けるにあたって、必要不可欠なマイルールなのだ。
人の記事を読んだりコメントで交流したり、そういうことが本来好きな私だからこそ、その時々の気分や気持ちでブレてしまわないように、心を鬼にしてリアクションを返さずにいられるように。
また「せっかくコメントしたのに返してくれない」「いつもスキしてるのに返してもらえない」という気持ちにさせないように、あらかじめ断っているというのもある。
その分メインアカウントでは、毎日note仲間の記事を読んでコメントしたり、フォロー外の方からのスキやコメントももちろんお返しするし、交流を思う存分楽しんでいる。
ではなぜ、当アカウントでは頑なにそれをしないと宣言しているのか。それを説明するには、このアカウントを開設した理由を話さなければならない。
裏アカをつくった理由
タイトルやプロフィールからも窺えるように、
このアカウントはいわゆる「裏アカ」というものだ。
「裏アカ」をつくった理由は大きく2つ。
毎日投稿に挑戦したいから
読み手を意識せず
好きなことを好きなように書きたいから
これは紛れもない私の本音、本当の理由なのだけど、
この理由を聞いて、おそらくほとんどのひとが
ある疑問を持つのではないかと思う。
「それってメインアカウントでやるんじゃ駄目なの?」
駄目だったんです、私には。
これをやるには、メインアカウントは大事すぎた。
メインアカウントは言うなれば、
私にとってアカウントそのものが「作品」なのだ。
納得のいかないものは出したくないし、
自分が心動いたものじゃなきゃ出したくない。
もっと言うなら、
出逢えた大好きなnote仲間の皆さまとの交流も含めて
私の「メインアカウント」になっている。
毎日投稿に挑戦したいから
私自身、初めての挑戦だ。
そして現状、納得のいく完成度の高い記事1本書くのに、日記記事なら2,3時間、エッセイならたぶん6時間、創作物なら1週間。そのくらい時間の掛かる(※時間が掛かる理由はメインアカウント記事にて少し触れている)私が、毎日投稿をしようと思ったら、月に何本もの妥協記事を投稿しなければならなくなることは、想像するまでもなく目に見えている。
また、毎日投稿は次々に新しい記事が投稿されていくので、せっかく書いたお気に入りの記事も埋もれていくのが早い。
きっと読んでいただける割合も低くなるし、1本あたりのスキの数も減っていくだろうと思う。
私自身が読み手として投稿数が少ない方のほうが、ほぼ100%の記事を読みに行ける事実があるからだ。投稿数が多いとどうしても全部は読まなくていいかなと、気になる記事だけ掻い摘んで読むことも少なくない。
私がメインアカウントで投稿する記事は、一部(読まれるための記事ではないと始めに銘打っているものや、aeuのひとりごとシリーズ等)を除くすべて、読んでいただけたら嬉しいな、読んでいただきたいなと思って書いているものだ。
捨て記事なんてない。
毎日投稿をすることで、読んでいただける総数や人数が増えるか減るかなんてやってみなけりゃわからないけど、でもそれを実験するのは、大切にしているメインアカウントじゃなくていいと思う。
また裏で毎日投稿を続けることによる、私のなかの「記事を出す」ということへのハードルの降下、およびメインで出す記事を仕上げる時間の短縮も狙いだ。
読み手を意識せず
好きなことを好きなように書きたいから
かつてnoteやTwitter界隈を賑わせた「かまたまる」というnoteアカウントをご存じだろうか。
今はもう存在しない、そのアカウントの実態は、この世には実在しない架空の人物で、インフルエンサー・プロジェクトとして発足したものだと後にわかった。
私は彼女(あえて彼女と言います)の書く文章が好きだった。彼女の綴る、エモーショナルで美しく洗練されていて雰囲気があるのに着飾っていない。例えるなら「デニムにTシャツ姿の透明感ある白い肌の美女」みたいな文章に魅了された。
私は彼女に憧れてnoteを始めた。
今となってはその片鱗すら見て取れないような記事ばかり書いているが、当初は彼女の書く文章のようなエモーショナルなエッセイを書きたいと思っていたのだ。
ところが、メインアカウント開設後わずか2本目の、しかもそんな文章とはほど遠い、うんこのような記事で、私は思いもよらず見つけていただいた。
今となっては良かったと思っている。
この記事を見つけていただけたおかげで、私は本当にかけがえのない大好きな大好きなnoterさんたちと繋がれた。
先ほども述べたように、私は本来交流は好きで、今はもうnote仲間の皆さまとの交流も含めて私の「メインアカウント」になっている。
だから、投稿する記事はなるべく、大好きなnote仲間の皆さまの気分を下げたり、暗い気持ちにさせたりするようなものは避けたい。
人間だもの、負の感情が湧くことだってある。
特に私は、別にネガティブな気持ちは微塵もないのだけど、あれこれ深く物事を考えてそれを言葉にすると、なんとなく暗い雰囲気の文章になるというか、生真面目な文章になるというか、とりあえず明るくはないものが出来上がる。
けれどせっかく読んでもらうなら、楽しんでもらいたいし笑ってもらいたい。
そういう負の面や弱い面も、時には見せることもあるけれど、そういう時はしゃんと推敲して、読んでくださる方を不快にはさせないよう、きちんと伝えたいこととして仕上げた文章で出したい。
note仲間の皆さまが、私の書く記事を「楽しい」「笑える」「元気が出る」そう言ってくださるのなら、私の出す記事の半分はその期待に応えられるような、楽しくて笑えて元気が出るようなものでありたい。
(まあ実際もう半分は、これも本当の私だよと示す違う雰囲気のものや創作物を出すけれど)
というわけで、メインアカウントで出しづらいようなものも、書きたければ裏アカでどんどん出していこうという魂胆です。
だから交流は持ちません
読み手の顔が見えるということは、楽しくて温かくて嬉しいことで、挫けそうな時もその存在に支えられ、心強く、感謝してもしきれないほどだけど、時に不自由だ。
読み手の感想を一方的に見られるだけなのであれば、まだやりようはあるが、読み手との交流を持ってしまった時点で、そこには人と人との関係が生まれる。
読み手の気分を害したくないな、読み手の好きじゃないだろうものはなるべく避けたいなという意識が働いてしまって、それを出すのが怖くなる。自由に書けなくなる。
裏アカウントで、コメントもスキもお返ししないのは、そういう理由です。
交流を持ってしまったら、メインアカウントと変わらなくなるから。
このアカウントでは読み手のことは考えませんよ、と先に断りをしておくことで、私は法に触れない範囲、モラルのある範囲で、自分の好き勝手に書けるわけです。
当アカウントを開設し、3か月。
メインアカウントのnote仲間のどなたかが、このアカウントの存在に気が付いていてもおかしくない頃だ。
別に隠しているつもりはない。
知られたら知られたでいいと思っている。
だけど、上記の理由や背景があるから、
もしもnote仲間たちがフォローなりスキなりコメントなりしてくれたとしても、
私は誠心誠意、当アカウントでは反応しないことを約束する。