全てを捨てた魚、タウナギ
エラもウロコもヒレも無い魚、タウナギ。
学名:$${\textit{Monopterus albus}}$$ (Zuiew, 1793) ※
私が最も愛する魚類なのだが、
noteの検索で食レポしかヒットしなかったので
憤慨の勢いで熱冷めやらぬまま書きしたためます。
・イカレた魚を紹介するぜ
往来で100人に「タウナギご存知ですか?」
とインタビューすれば100人に「は?」
と返される、そんな知名度の魚。
それがタウナギだ。
見出しでも前述した身体特徴として
・ヒレがほぼ退化しており体は寸胴
・エラ周りがほぼ退化し外から目視できない
・ウロコがほぼ退化しており皮膚に埋没している
と言った点が挙げられる。
ふむ…
特、徴…???
進化の過程で身体部位を取捨選択する生物は多いが
そんな魚を魚たらしめるアキレス腱みたいな部位を
断捨離していいのかお前は。
そしてなんと彼らは空気呼吸が出来るので、
雨とか降ると陸へお散歩を始める。
寧ろ息継ぎが出来ないと死ぬ。
ほう…
魚か???
ほなそれはもうヘビかなんか別の仲間ちゃうか、
と言いたい所だが分類上はしっかり魚である。
こういった空気呼吸の魚は海外に多々いるのだが、
なんとこのタウナギは日本で出会えるのだ。
・異邦人であり同郷人
タウナギの主な国内分布は西日本と琉球列島。
大雑把に言うと本土のタウナギは朝鮮半島などから来た外来種。
そして最近判明したが沖縄のタウナギは在来種である。
では本土に巣食う彼らは何故日本に来たのか。
これには奈良、
そして天理教というワードが欠かせない。
ただでさえ胡乱な魚の話をしているのに、
言うに事欠いて宗教の話まで!?
と辟易される方もいらっしゃるかもしれないが、
どうか待ってほしい。
実はこの天理教こそが、一部のタウナギを日本へ
導いた元来らしいのだ。
・天理教とタウナギ、信仰と怪魚
さて、知らない人の為に天理教についても
超ざっくり説明しておこう。
天理教とは江戸時代の末期、
「みんな仲良く陽気に暮らしたら超ハッピー」
という理念によって爆誕した時代背景にそぐわぬ
やけに陽キャな一神教である。
そしてこの天理教における創世神話、
『元始まりのお話』は何故か全体的にこう…
ニョロニョロヌメヌメしているのだ。
それはもうタウナギの様に。
話はすげー昔のすげー神【親神】が
根源の泥より現れるところから始まる。
どうしたことだろうか。
初手からニョロニョロが泥でうねっている。
そしてこの後、魚とヘビが出てきたり
ドジョウを素材にして人間を作ったり
シャチが出たりカメが出たりウナギが出たり
カレイが出たりフグが出たり黒蛇が出たりする。
いや凄い。
これほど創世神話に魚や爬虫類が列挙される事も
中々無いだろう。
このニョロヌメっぷりは
『泥の中でも不変の本質的な美しさ』という
泥濘に住まう生命への信仰の様な物なのだろうか。
勿論今回は一宗教のヌメヌメした所だけを
切り取ったので、恐らく現代においては
ニョロもヌメも一切ないだろう。
そっち方面で興味を持った方は各々調べて欲しい。
そしてそんな天理教が発足されて幾年過ぎたある日
時は明治末年。
当時の天理教会長をされていた さるお方は、
例のアイツと邂逅してしまう。
下記はその当時を語る貴重な伝聞である。
どうして敬虔な信徒がそんな得体の知れん魚を
持ち帰ってしまったんだ。
と思うだろうが、ここで先程の神話が効いてくる。
泥中のヘビとなった神がドジョウを種に人を創り、
ウナギだのなんだのと続く神話である。
言わんや教会長ともなれば、元はじまりのお話は
勿論耳タコレベルで頭に入っている筈だ。
海を隔てた外来の地に住まう、
神話の物語に連なる奇天烈な魚を、
さるお方は如何なる理由で連れ帰ったのか。
残念ながら私の情報網では当時の心境までを
探し出すことは出来なかった。
しかしその心中には、他の一般人とは全く異なる
バイアスの興味が含まれていた事は確かだろう。
いやまぁ、
キモくてウケたからお土産にした説も否めないが
・日本列島侵略珍道中
かくしてタウナギはまんまと
日本の大地を踏み締めた。
(水生生物だがこの表現は誤りではない)
当時池に放たれた十数匹のタウナギは、
全て池から逃げおおせたらしい。
相手は空気呼吸を備え、
あまつさえ雨天決行で道路を横断する魚である。
そこはどうとでもなったろう。
その後のタウナギは、大陸からの外来種として
圧倒的実力でもって在来生物を蹂躙していく!!
というわけでもなく、その生息域は、なんかこう、
ネッチョリと範囲拡大して行った。
彼らの拡散経路は複数あり、
一つは単純に行き着いた水系を辿っていくルート。
畔や用水路を経由して田舎の水辺を爆走した彼らは
およそ魚とは思えないルートで範囲を拡大した。
道中に聳える険しい峠も徒歩で突破したらしい。
全然意味が分からない。
ただ、ぶっちゃけタウナギは
泳ぎのセンスが死んでいるので、
大きい河川や急流域には全く太刀打ちできない。
あらゆる方面で無茶が利く魚だが、
流石に自力の移動は棚田や用水路を
経由することしか出来なかったようだ。
ただもう一つ。風呂敷に包まれたタウナギが
手渡しで市町村を渡っていったという
意味不明のルートがあったらしい。
まさかの人力。
何とも珍妙な話だが、
当時稲作でヒルに悩まされた女性達には
ヒルを食うタウナギが隣村への土産物として
バカウケしたと言うのだ。
信じて隣村に送り出した嫁が
奇怪な魚を風呂敷に詰めてくる。
出迎えた家族の怪訝な顔が目に浮かぶようだ。
しかし、実際問題として当時の無農薬な田園では
おびただしいヒルが足に群がっていただろう。
これが胡乱な魚を逃がすだけで解決するのなら
確かにお土産として喜ばれたのも無理はない。
ただしこう言った好意的なクチコミは
ある時期を境にエグめの罵声へ変わった。
彼らは習性の都合上、泥中に穴を掘るので、
畔へバチクソ穴を開けて水田を勝手に排水する
超ド級の害魚だったのだ。
最早ブラックバスとかそういうレベルじゃない、
生活基盤の根本をぶち壊す大災害である。
ゆえに筆者の地元では、
普段穏やかな近所の老夫婦が
タウナギを見るや否や、修羅の如き形相で
農具を振り下ろしまくっていた。
そして全体数からすればレアケースとはいえ、
その怪しげな魅力に取り憑かれて
連れ帰ったタウナギが脱走───
という事件もまま有り得ただろう。
現に好事家による外来種拡散は
未だ深刻な問題として根強い。
そんなわけで彼らは、
ねちょねちょ這いまわって県境をまたぎ、
土産物代わりに田畑を渡り、
好事家の手によって街々を巡る、
愛憎入り交じった混沌の旅人と成り果てたのだ。
因みに国内の最も古い確認例は1870年、
イギリスの専門書による物らしく、
その後もチラホラとまばらに目撃例が上がる。
(荒俣宏|世界大博物図鑑 2魚類|平凡社出版|1989)
また、貿易盛んな港町で度々輸入されていた
この珍奇な魚は、今やコンクリートジャングルに
飲まれた東京砂漠でも局所的に生息している。
お関東圏お住まいのどうしてもタウナギが見たい
どうしようもないドスケベの皆様は、
お近くの川かアメ横を周回してみよう。
・海の果て、南国の島にて待つ
さて時を超えて平成、
ネッチョリ停滞したタウナギ界隈に一報が届く。
なんと沖縄に生息するタウナギが、朝鮮半島からの
移入種とは全く別な在来種だった、という発表。
この衝撃の一報は
界隈を震撼させるに十分であった。
震撼した界隈がすこぶる小さいので、
先端がプルプルしただけだったけれどもだ。
そもそも【田鰻-タウナギ】-という和名は
・トーンナジャー
・タウナジャウ
(田中茂穂|日本産魚類圖說|代二十七巻1917)
・タウナジョ、トウナジョウ
(荒俣宏|世界大博物図鑑 2魚類|平凡社出版|1989)
と言った沖縄における方言名が由来とされる。
そしてその沖縄に生息するタウナギは
およそ数百万年前にはとうに分岐した、
完全に独立している種であると言うのだ。
外来種と一蹴された魚が
現代科学と変態の叡智によって照らし上げられ、
その名の故郷である琉球の島にて
再び固有種として図鑑に返り咲く。
なんともドラマチックな話である。
しかし此処で問題があった。
輝かしい新発見の先では、
小さな島で滅びの崖に追いやられた彼らの
先細りな現状が明らかとなったのだ。
そりゃ誰がこんな南の島で
得体の知れない魚に目を配っていようか。
かくして新発見となった沖縄タウナギ君は
お披露目からあっという間に絶滅危惧ⅠA類という
激ヤバレッドゾーンにランク付けされてしまった。
近年のバラエティ番組は絶滅危惧種と在来種を
けたたましく持て囃し、外来種と言う存在を
蛇蝎の如くバッシングする悪癖があるので
あんまりこんな事を言うもんではないが、
有り体に言ってすんげーレアになっちまったのだ。
このよく分からん魚を
有難がる時代が来ちまったのだ。
・粘液まみれのまとめ
ここまでタウナギを罵ったり褒めそやしたりしたが
やはりここまで奇妙で魅力的な魚もそう居ないと
改めて強く感じる。
今回は紹介し切れなかったが、
彼らは生まれた時は全員メスで
老けると突如オッサンになる
謎のシステムを導入していたり、
海外のタウナギは何故か
海だの地下水だのに引き篭ってたり、
とにかくまだまだ面白い要素しかない。
あと今回の動機はタウナギのnoteが
食レポしか無かった事に起因する物だが、
実際食材としてのタウナギは気持ち悪くて美味
という、相変わらずブレないキャラ付けなので
是非ともその話も語りたい。
分類や文化、全ての枠組みから
絶妙に外れた奇天烈な魚。
中華の民は彼らを喰らい、
それでいて悪夢として恐れたという。
彼らは、『病める龍』なのだ。