テッド・チャンの紹介・解説
現代SF最高の作家とされるテッド・チャン。今回は、そのチャンについてのお話をしていこうかと思います。
テッド・チャンは、寡作で知られたSF作家。(なんかどこかで同じ文章を見たような……)作家デビュー自体は1990年と、30年近いキャリアがあるのですが、発表した作品は20作に満たず、しかもその作品はすべて短篇や中篇といった短めの作品ばかり。普通だったら埋もれてしまうところなのですが、その作品のすべてが並み外れた完成度にあるため、作品数が極端に少ないにも関わらず、チャンはSFファンの間では知らない人がいないほどの知名度を誇ります。
これまでチャンを知らなかった方もご安心ください。チャンの作品は、しょせん短篇ばかりで20作足らず。本も短篇集『あなたの人生の物語』『息吹』の2冊だけ。たった2冊読むだけで、現代SF最高の作家を網羅できるというわけです。頑張れば1日でも読めちゃいますね。
さて、今回のお話のとっかかりとなるのが、『息吹』収録の新作短篇「オムファロス」です。“一見奇抜に見える設定からはじまって、そこから意外だけどじつは自明な事実を導く”というチャンらしい展開はいつもの通りで、なんでこんなことを思いつけるのだろうと、新作を読むたびに驚かされます。
チャンの作品の多くは、主題に“決定論と自由意志”を採ります。チャン作品について話をするとき、つい結末のあざやかさに目を向けてしまいがちですが、真に重要なのはその結末にいたるプロセスなのではないかなと最近考えています。
あることを仮定し、そのことについてしっかりと考えを深めていき、“理解”することができれば、そこから導かれる驚くべき結論と相対しても、恐れることはなにもない、というのがチャンが作品でとっている姿勢なのかなと思います。チャンを一言で表せば、理解の作家、となるでしょうか。
チャンが作品内の議論で使うものは、既知の物理法則であり、またその他様々な分野における事実であり、作品の結論は現実でも同様に得られるけれど、その議論をすべて理解することで、それらの恐るべき結論を人は理解し、乗り越えていくことができる。これがチャンのSFの素晴らしさなのだと思います。
さらにすごいのは、これらのことをしっかりと物語に織り込んでしまえるチャンの腕前です。読者を論理でブン殴るのではなく、物語を読む過程で議論を理解させる構造になっているのが本当に上手いですね......。これこそが真のサイエンス・フィクションなのではないかと、思います。
この“理解することによって人はなんでも超えていくことができる”という姿勢は、チャンの作品のほとんどに見ることができます。たとえば、“呼吸”と“熱力学第2法則”という一見相容れない要素を“理解”していくことでみずからの運命を悟っていく「息吹」という短篇や、“物理学的に(一応)説明可能なタイムトラベル”を通してみずからの人生を深く“理解”していく「商人と錬金術師の門」、“神の実在する世界”で神という存在を深く“理解”することで地獄とはなにかを導き出す「地獄とは神の不在なり」といった作品が挙げられます。
“熱力学第2法則”とか“物理学的に説明可能なタイムトラベル”とか、難しいと思ってしまった方がいらっしゃるかもしれませんが、ご安心ください。チャンの上手さは、これらの要素を知らない読者に対しても、物語を通してきちんと理解していけるような物語を書けるというところにあります。
たとえば、「息吹」は体内の圧搾空気を吐き出す力を利用して動くロボットが登場するスチームパンク風の作品ですし、「商人と錬金術師の門」は中世アラブを舞台とした旅物語を主軸とした異国情緒あふれる作品になっています。その作品世界を自然と堪能していくなかで、思ってもみなかった結末が待っているのが、チャンの作品の面白さのひとつです。
また、先ほどお話した、“決定論と自由意思”という主題がよく表れた作品としては、「あなたの人生の物語」、「予期される未来」、「オムファロス」が挙げられます。「あなたの人生の物語」はあまたのSF短篇のなかでも最高の一作との評の高い作品で、すでに短篇集『あなたの人生の物語』の表題作として文庫化されていますので、ぜひ手にとっていただけたら、と思います。「予期される未来」「オムファロス」の2作は、12月4日に刊行されたばかりの単行本『息吹』に収録されていますので、こちらもこの機会に手にとっていただければ、と思います。
また、テッド・チャン以外にも、“決定論と自由意思”という主題に取り組んでいるSF作家がいます。その代表格が、チャンと並んで現代SF最高の作家とされるグレッグ・イーガンと、頑なに自由意思を認めようとしない謎のSF作家ピーター・ワッツです。
イーガンの作品では、「しあわせの理由」「真心」「行動原理」などの初期短篇、そしてそれら初期短篇の集大成となる長篇「万物理論」がそれにあたります。イーガンの初期作品の特徴としては、人間の聖域とされる思考や意思などを、物理学や神経科学を用いて科学的に解析可能なひとつの物理現象としてとらえ、そして哲学的な議論へと読者を誘導し、驚くべき結論を提示する、というものが挙げられます。ここからも分かる通り、チャンとイーガンの作品は互いに方法論が似通う部分もあるのですが、まったくおなじではないのがふたりのSFの面白いところ。イーガンは、一般には難解とされる作家ですが、じつは難しいことを言っているふりをするのが得意な作家なのです。分かる部分だけを追って読むこともできる作家なので、ぜひ気軽に読んでいただければな、と思います。私のおすすめは、短篇集『しあわせの理由』と『祈りの海』です。もし分からないことがあれば、私に聞いていただければ解決するかと思いますので、Twitterやマシュマロまでお気軽にどうぞ。
ワッツの作品では、長篇「ブラインド・サイト」や短篇「島」などがそれにあたります。基本的に、ワッツは“自由意思など存在するがはずがない”ということを作品の大前提としていて、そのことについて作中では一切言及しないので、すこし読みづらく感じるかもしれません。ですが、ワッツ作品は自由意思が存在しないことを大前提としているということを知っていれば、かなり楽しめる作家なのではないかなと思います。短篇集『巨星』は、機械が意思を獲得する過程を描く「天使」から、直径2億kmにもおよぶ超巨大知性体との邂逅を描く「島」まで、短篇集の収録順に読んでいけばワッツを自然と理解できるような綿密な構成になっています。そのため、『巨星』を読む際は、ぜひ収録順に読んでいくことをおすすめします。
また、海外のSF作家だけでなく、日本のSF作家にも、自由意思を主題に掲げて創作をしている方がいます。長谷敏司さんの短篇集『My Humanity』には自由意思を扱った短篇が多く収録されていますし、伊藤計劃さんの長篇「ハーモニー」、飛浩隆さんの短篇「自生の夢」も自由意思を扱った作品になります。
私がここでおすすめしたいのは、2019年にもっとも注目された作家、伴名練さんの短篇「美亜羽へ贈る拳銃」です。この作品は、伊藤計劃さんへのオマージュであり、これまでに挙げてきた自由意思を扱った作品をしっかりと踏まえたうえでの作品になっています。この作品を収録した短篇集『なめらかな世界と、その敵』は今年刊行されたばかりの本なので、『息吹』とあわせて、SF最高水準の作品を楽しんでいただけたら、と思います。『なめらかな世界と、その敵』に関しては、ネタバレなしの解説・感想をnoteに投稿していますので、興味のある方はぜひそちらもよろしくお願いします。
元ツイはこちら。
版元である早川書房さんの公式noteにもテッド・チャンと『息吹』の紹介記事がありますので、ぜひそちらもどうぞ。
伴名練さんのSF作品集『なめらかな世界と、その敵』のネタバレなしの解説・感想はこちら。