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作り手の民主化は、しがない学生の希望である。

いまから十数年前、確か大学4年生のくらいだった時。

先輩たちと観に行った「ALLWAYS-三丁目の夕日」に感動して、
号泣してた

隣を見てもみんな号泣してた

今度はジブリ作品の「風立ちぬ」を同じようなメンバーで観に行って、
「生きねば」って強く確信した。

大学生活は3年間、学園祭というエンタメ空間を作り上げることに腐心し、いつしか実行委員長になってた。

参加する一人ひとりが好きで溢れていて、当時はそんな言葉もなかったけど、元祖推し活みたいな世界が拡がっていて。

そんな経験があったものだから

「俺、将来エンタメやるのだ」

とか

「製作委員会に名を連ねるのは電通か博報堂が近道なのだ」

とか思っていたけど、そんな甘い話はなく。

電通は1次面接で筋肉質で汗ばんだ45歳くらいの営業みたいな人に笑われながら落とされて、博報堂は最終面接の後の健康診断で腹部のエコー検査を受けたあとに落ちた(当時体重は94キロあった)

ましてやテレビ局なんて高嶺の花だったから、一枚もエントリーシートを提出しなかった。今思えばエンタメの頂点だったかもしれないけど。

それでもなんとなく付かず離れずPRという領域で
「面白いこと」や「感動すること」
に近い仕事ができていた。

旧:国立競技場が幕を閉じる最後のイベント
「SAYONARA 国立」に立ち会って、
ラモス瑠偉の現役顔負けのプレーを見たり、

フランスのルマン24時間耐久レースのメディア誘致をやって、
小林可夢偉のポールポジション奪取に歓喜したり。

サッカーワールドカップのロシア大会の日本代表の壮行会の仕事で、
ミスチルの桜井さんの生歌唱を聞いたり、(ウカスカジーとして)

ラグビーワールドカップ2019では、
一般のお客さん1200人くらい集めて
パブリックビューイングなんかもやった。
ハイネケン・キリンがスポンサーだったよ。

どれもこれも最高に規模が大きかったし楽しかった。
でも、大学生の時に憧れたエンタメ本丸みたいな仕事は落ちてなかった。

・・・

それから10数年経って、「やろうと思えばワンチャンできる」
エンタメの手法として、ショートドラマというフォーマットが誕生した。

この動きを俯瞰してみると、
これを機に「やってみよう!」が増える循環が生まれているのが
すごくエモい。

もしいま、23歳の自分に言葉をかけてあげられるなら、

「大丈夫、10年間楽しいことばかりだから」

という言葉と同時に

「大丈夫、いつかきっとできるから」

を伝えてあげたい。

作り手の民主化は、絶対に希望だから。


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