家族に思う
今更ながら、自分が家族に愛されていたのだということに気づく。
それが自分の望んだ形ではなかったとしても。
ロシアの奨学金プログラムに合格してから、祖父母と父からの愛情を感じることが増えた。これは実際に愛が深くなったというよりも、私の「愛情を受け取る機能」が正常に近くなった、という方が正しいと思う。
ちょっといつからかはわからないのだけれども、「自分は愛されていない」と強く信じるようになっていた。もっと正確に言うと、「良い子でいないと愛されない」と思っていた。いい学校に入り、いい成績で、いい大学に入り、いい会社に入り、順調に、まともに、人生を歩まなければ愛してもらえないと、頑なに信じていた。だから、上司にパワハラを受けて精神を病んで休職したとき、私は祖父母には打ち明けられなかった。本当は父にも連絡したくなかったが、諸般の事情により連絡せざるを得なくなった。予想に反して、父は私のことを深く心配し、気遣って、上司に対して一緒に憤ってくれた。そこで初めて、父が、「良い子」でない私のことも大切に思ってくれているのだと、少し信じることができた。
よく考えれば、祖父母が「良い子」であることを要求したのは、それが私の幸せにつながると考えていたからだということを、もっと早く理解できていたのではないかと思う。というかそもそも、要求すらしていなかったかもしれない。でも頑なで、視野の狭い私はずっと、「良い子でいなければ愛されない、捨てられる」と思い込んでいた。
そして、私は、はっきり言えば、私のことを理解しようともしてくれない、「良い子であること」に疑問一つ持たず、私の努力に、苦労に一つも目を向けてくれない祖父母に対して、憤りと憎しみも抱いていた。父に対しても、同じだった。
私は家族に対して、一種のあきらめを抱いていた。「私の話をしても、聞いてくれないし、理解もしてくれようとしないだろう」と、ずっと思っていた。これは部分的には正しかったと思う。祖父母と父、私はそれぞれ生きて来た時代も、持っている背景も違うのだから、分かり合えない部分も当然ある。でも、私はそこで諦めてはいけなかった。相手は聞く耳を持っていないと勝手に判断したのは私の方だった。そして、その判断を修正することなくずっと持ち続けていたのも私だった。話さなければ理解してもらうきっかけさえ生まれないのだということを棚に置いて、私はずっと家族を諦めて、避け続けてきた。
祖父が94歳、祖母が86歳、父が60歳になって、私も29歳になって、初めて気が付いた。私はたぶん、愛されていた。そして今も、愛されている。私が思う愛し方とは全然違うけれど、私が欲しかった愛し方とは違ったけれど、愛はあった。そしていま、昔よりずっと、お互いに歩み寄れている。私が、私のわがままで貫こうとしている道を、家族は、いろいろな思いを抑えて、応援してくれている。
翻って、私は家族のことをきちんと愛せていただろうか?と思う。「良い子」であることを求めていたのは、むしろ私の方だったのかもしれない。「良い親」で、「良い家族」であってほしいと、要求し続けたのは私の方だったのかもしれない。
老後穏やかに暮らす予定だった祖父母が、私の父と血縁上の母親の離婚のせいで、孫の面倒を見なければならなくなってしまった。そして父は、一人で育てなければならなくなってしまった。一人で家計を支えなくてはならなくなってしまった。どれほどの苦労だったろうか。いろんなことを我慢しただろうと思う。私のために、あるいは、弟のために。
もちろんそれは、私に責任のあることではない。私は生まれたくて生まれたわけではないし、親には子供を育てる責任がある。それでも、一人のクソみたいな女のせいで無茶苦茶になった3人の人生のことを思うと、いたたまれない気持ちになる。私がいなければ、3人はもっと楽だったのではないかとも思う。
父は子供がほしくなく、血縁上の母親が子供を欲しがったと父から聞いたことがある。私は望まれない命だったのだなあと、そして望んだはずの母親から捨てられた命だったのだなあと、つくづく思う。それでも、祖父母も父も私をここまで育ててくれた。そして、戦争中の国への留学も、いろんな思いを飲み込んで送り出してくれようとしてくれている。
これが愛情でなくて、なんなのだろう、と思う。
自分が家族に対してこじらせたこれまでの感情は決してなかったことにはできないし、自分の考え方が間違っていたにせよ、否定することもしたくない。そういうわだかまりを抱えたままでも、分かり合えない部分があっても、これから先は自分の強い意志で、自分なりに家族を愛していく。すべてを好きにはなれなくても、愛することはできる。私が愛したいから、愛しぬく。悲しませることも、怒らせることも、傷つけることも、悲しむことも、怒ることも、傷つくことも、これから先きっとたくさんあると思う。でも、祖父母も父も、他人ではなく私の家族なのだから、そこで愛することを諦めず、全部ぎゅっと抱きしめて、人生の終わりまで、見届けたい。