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もろもろ
友人の赤さんに会った話
大学時代の友人の赤さんに会った。僕がモスクワに留学している間に生まれた子で、一歳になったばかりのかわいい女の子。僕のところに高速ハイハイしてくれたり、物をくれたり、笑いかけてくれたり、とにかく小さくて尊くてかわいらしくて愛おしかった。温かくて、赤ちゃん特有のにおいがした。
子供の成長はとにかく早い。気がする。ついこの間までうつ伏せになっては仰向けになれずにわんわん泣いていたのに、今では立って数歩歩くこともできる。すげえ。きっとすぐに話せるようになって、走れるようになって、元気いっぱいの子供になるんだろうな、と思った。
「母親」になった人に会う時、僕はどうしても厳しい目と心で見てしまう。僕が母親に捨てられたから、望んだのは母親なのに捨てられたからだと思う。どんなにつらいことがあっても、ど悲しいことがあっても、絶対に子どもを大切にして、何よりも大切にして、愛しぬくべきだ、その覚悟がないのならばそもそも産むな、という気持ちがずっとある。真に愛されないことほど、子どもにとって不幸なことはない。母親には、「自分が望んだのだから産んだ、だから責任と愛情をもって育てる」という気持ちを、常に持ってほしいと思っている。そういう点で、僕の友達はこれ以上なく、すばらしい母親だと思う。
彼女の子どもと触れ合いながら、彼女と赤さん、両方をとても愛おしく、尊く思った。母親でいることは本当にとても大変なことだと思う。疲れているように見えたし、実際、疲れていたと思う。それでも彼女はずっと赤さんを気にかけ、愛し、慈しんでいた。自分勝手で気持ち悪いけれど、なんだか昔の自分が救われるような気がした。母親に愛されてはいなくとも、父と祖父母にそうして育ててもらっていたような気がして。
赤さんに心の中で話しかけていた。たくさん愛されて、たくさんかわいがってもらって、たくさん幸せと愛を受け取って、元気いっぱいに、健康に育つんだよ。何も不安に思わなくていい、あなたのお母さんはすばらしいし、あなたはとても、とても深く愛されているから…
教授に会った話
大学時代、散々迷惑をかけた指導教授にお会いした。昔より細く、そして少し小さくなったように思えて、とてもびっくりした。弱って、くたびれているように見えた。昔はあんなに背が高く、しゃきっとしているように見えたのに。そこで思い出した。卒業してから、すでに6年が経過していることに。
教授(以下、先生)には、定期的に会いに行っている。先生のことが好きだし、研究室には強い思い入れがあるからだ。実家通いだった僕がよく泊まっていた、そして同期と頭を抱えながら卒論を書きあげた、思い出の場所(ちなみにいまだに僕の卒論が保存してあって、シュレッダーにかけるか真剣に悩んだ。なんで保存してあるんだ。捨ててくれ)。少し前までは知っている後輩もいたので、時々遊びに行くのは楽しかった。
僕をよく知る先生が一人退官され、後輩も全員いなくなり、残るは面倒を見てくれた先生のみとなっていた。先生も来春退任されるから、これで僕は古巣を訪れる理由がなくなることになる。悲しいし、それだけ時間が経ったのだということに、改めて考えさせられる。
立派な社会人になれず、再びモスクワに旅立とうとする僕に、先生は「まだ若い、三年もいればロシア語をマスターできるだろう、どこかで非常勤という道もあるかもしれない」と、激励してくれた。教授陣の中で最も面倒見がよく、優しく、お父さんのような先生。それは6年経とうと変わらなかった。先生と、ロシアの話、中国の話、仕事の話、未来の話をしながら、「先生と臆さず話せるようになった」という点で、僕はもう大人になったのだと実感した。
先生に巡り合えて、本当によかったと思う。先生のようにすばらしい教授に出会えたから、大学生活の特に残りの二年を乗り切れたのだと思う。不出来な生徒だったけれど、最後まで、激励しながら、見捨てることなく、卒業まで併走してくれた。そして今も、こうして、変わることなく受け入れて、話してくれる。一介の卒業生だけれども、図々しくも何度も訪れる僕のことを、忌避することなく接してくれる。気にかけてくれる。
先生は、「俺はそう長くは生きられんよ」と仰っていた。たくさん食べて、うちの祖父みたいに長生きしてください、そして市長の表敬訪問を受けてください、と返した。僕は少し、涙をこらえていた。いつか、お別れが来るだろう。それはわかっている。いつまでも、ずっとこんな風にいられるわけではないとわかっている。それでも、永遠にこんな風にいられたらいいのになと願わずにいられない。ロシアで、頑張らなければいけない。先生に恥じない人間でありたいから。いつか胸を張って、立派な業績を携えて、「私は先生の教え子ですから!」と、報告しに行く。
父の話
父は、母親に不倫されたことをまだ引きずっている。怒りも傷も、癒えていない。それはたぶん、それに向き合う暇なく、忙しくしてきたからだと思っている。
傷を癒すためには、一度徹底的にその傷に向き合わなければならないのではないかと個人的には思っている。そうして自分の傷の深さ、痛みを痛み切って、初めて前に進めると思う。そういう意味では、父は、僕や弟を養うために、自分の傷に無理やり蓋をして、前に無理くり進んできたのだと―裏を返せば、自分の傷と徹底的に向き合うということはせずにここまできたのだと、思う。
僕としては、あんなクソアマさっさと忘れて幸せになるのが一番の復讐であり、何よりも父に幸せになってほしいので一刻も早く忘れ去ってほしいという気持ちだが、当事者ではない以上、そういう願いは、父にとっては暴力にしかならないのではないかと思う。
ただ、父には、自分の子とを大切に思っている人がいることを、もっと感じてほしい、と思う。父は昔から半分以上自暴自棄になっているところがあると思うが、これは、少しすねている子どものようでもあると思う。自分を大切に思ってくれている人にだけ焦点を当てれば、父はきっと、立ち直れると個人的には思っている。父が人に尽くしてきた分、あるいはそうしていなかったとしても、愛してくれている人が、周りにいると思う。
僕はもちろん、父を愛している。でも、傷ついた自尊心に、僕の愛が役に立つだろうか、とも思う。なんの役にも立たないとは言わないが、僕の愛だけでは足りないのではないか、とは思う。
母親がこの世から消えればいいという話でもないと思う。本当は、母親が反省して、父に真摯に謝る、というのが最も理想的だけれど、あの女にそれはおそらく望めないだろう。できるなら最初からしているだろうし。僕が代わりに殴ってやりたい気持ちもあるが、それで父の溜飲が下がるわけでもないだろう。結局、最後は父が自分の傷とどう折り合いをつけるか、という問題でしかない。父は被害者なのに。理不尽極まりないと思う。
根気よく、父に愛を伝え、父が傷と向き合うきっかけと時間を持てるよう、常に気に掛ける、ということが、今僕にできる唯一のことかもしれない。ロシアから、できるだけのことをやっていきたい。父を心から愛しているから。