伝えること/新しい命
20240614-16
伝えるって難しい
「言いたいことを伝える」ことと同じくらい、「言いたくないことを伝える」ことって難しいのではないかと思う。
言いたいことなんてすぐに言えるよ〜という人もいるだろうから、もっとシンプルにすると
「わざわざ言葉にしたくないことを、誰かに伝えること」
は想像以上にエネルギーを使う。
当たり前なのかもしれない。当たり前だと思っているから、そのことに気付いた時に余計、心が痛くなるのだろうか。
言いたくないこと、ないしは言葉にしたくないこと、というのは、言わなくても気付いてくれよ、という思いであったり、あなたには言わなくても気付いて欲しかった、という思いであったりする。
わざわざ言葉にして言わずとも、客観的視点を持ってくれてたらなぁ、(気付いてくれなかったかなぁ)なんてこともある。
自分に置き換えてみた時に、あの時のあの事、あの行動は迷惑じゃなかったかしら、なんて思うこともあるし、私もきっと同じように思われていることもあるのだろうな、と思ってしまうので、何も誰かのことだけを言いたいわけではない。自分にも戒めているつもりである。
黙っていては何も変わらないから、
ずっと自分の心を押し殺していることになるから、
勇気を持って気持ちを吐き出すことも大事だと最近気付いた。
心を押し殺しすぎると、自分の本当の気持ちがわからなくなるばかりでなくて、自分の価値観とかモラルとか大切にしていることとかそういったことに嘘をついているようでもあるし、何より精神状態が悪い。
多少の我慢とか、気遣いとかそういう必要なものはとっておくべきでも、何から何まで全てそうすべきではない。
誰かとの何か関係が壊れちゃうかも、とか、悪くなっちゃうかも、とか、時にはそんなことも頭をよぎる。
そんな時には、言わない方が/伝えない方が、よくない結果を招くのではないかな、と思うことにした。いつか不満とか心の中にあったものが溢れ出ちゃったら、一気にそんなものが流れ出てしまったら、その時こそ修復が難しくなるのではないかな。
少なくとも今の私はそう思っている。困り事とか、気になることとか、小さな芽は、嫌でも、ひとつずつ少しずつ摘んであげたほうが、きっといつかの自分たちのタメになるのだと信じている。少しずつ摘んであげることで、大切な関係を保てるのだと思う。
一方的に伝えるのではなくて、お互いの認識を確認し合えればな、なんてことを考えていた。
来週は、エネルギーを使う週になるかも、笑
新しい生命を迎えて
新しい生命なんて大仰に書いてみたが、今月もまたお花をお迎えした。
ここ数ヶ月の私の趣味。
月に一度、お花が変わって、愛でている。
今月は、ジンジャーとメリケンカヤツリグサという2種類をお迎えした。どちらもこれまでに見たことのないような形相をしていて、夏らしさを感じたので、彼らに決めた。
調べてみたけれども、なんだかわかるようなわからないような感じだったので、とりあえず水をあげて様子見してみようかしら。
花瓶をずっと自室の机の上に置いていたのだけれども、植物も気温の変化に弱いようなので、しばらくは玄関で見守ってあげようかと思っている。昼間は誰もいなく暑くて、私が帰宅して夜の少しの間、冷房だとか扇風機だとか旋す私の部屋は、疲れやすいらしい。
玄関ならある程度一定の気温で、なおかつ、朝行く時、夜帰ってきた時にみんなをお迎えしてくれると思うと、それも素敵、なんて自己満足でもあるかもしれない。
写真はまた今度。
花瓶に挿したら1枚撮ってあげよう。