箱庭の灯を探して
Tele Live Tour 2024 東京公演@日本武道館
愛をうたう人
20240601
本当に今行っている場合ではないだろ、
と自分に全力で突っ込みながら、チケットの譲りを受けて行った武道館。
ツアー初日。
初めてのTeleだった。
今日、行くことができてよかった、と心の底から思った。幸せすぎた。そして、既に私はTeleの音楽を聴きたくなっている。ツアー初日に、次のライブの予定を知りたくなっている。
そんなTeleの武道館について。
※ネタバレしかないので、ツアー参戦する方はお気をつけて
感情に触れること、生きていること
鳥肌が立つという感覚を久しぶりに思い出した。
ライブに行く度に、感動したり、いろんな思いを受け取ったりして、あぁ、生きていてよかった、と思うのだけれども、今日はそれを凌駕するような感覚だった。もちろん何度ライブに行っても、力をもらって、元気をもらっている。ただ、今回は受け取る量が桁違いに多かったのではないかと思う。
彼の感受性はどこから生まれてきているのだろう。そう言いたくなるくらい、感性豊かで、喜びや悲しみや幸せや憤りや、みんなと共有したい気持ちも、ひとりで抱えるしかない思いも、全てが込められていた。表現が無限大で、音楽も生き物だということを教えてくれるようであった。
普段、音源を聴いているだけじゃ絶対に伝わらないような叫びを受け取って、私たちもそれを発していた気がする。そんな2時間で、もっと長いようでもっと短いようでもあった。同じ音を聴きながら、それぞれが思いをぶつけ合っているかのようであった。
生きてる、ってことを音で受け取って、再確認していたのかもしれない。
車窓から
ライブは、老人とこどもの会話から始まる。
砂漠の中を列車で旅しているようで、“記憶のカケラ”のような物が落ちている、そんな話をしていた気がする。
この映像が始まってしばらくして、セットの意味が少しだけわかった気がした。入ってすぐ、なんだ?このボコボコは?!!と思っていたものの意味が少しずつ見えてくる。
1. カルト
赤い衣装で、フードを被って出てきた。
1曲目の“カルト”は、あの世界に武道館の全員を引き込むのに打ってつけの曲だった。
投影されていた映像の世界から飛び出してきたようでもあり、文字通り、武道館が“沸いた”。
6. 誰も愛せない人
この曲の演出がまさに“言葉を紡ぐ”ようだった。iPhoneのメモに歌詞を打ち込んでいく映像がバックで流れていたのだけれども、その言葉を打ち込む、消す、打ち直す、変換する、とか全てが、まるで手で文字を書いているようでもあった。“誰も愛せない人” というこの曲にもぴったりだった。
あぁ、私もこうやって行ったり来たりしながらいつも文字を書いているなぁ、なんてことも思っていた。
7. クレイ
クレイでお別れしてしまう老人とこども。
ここまで来て、老人とこどもは未来と過去のTele自身の姿なのかな、とか感じていた。途中で出てくる「灯(あかり)を求めている」という若い姿がもがいて苦しんでいるようで印象的だった。
朝は残酷だ、という言葉が胸に響いた。残った。あぁ、そんな風に思ったことはなかったかもしれない、と思った反面、本当にそうなのかもしれない、とか考えてしまった。これ、今度別のnoteに書きたいな。
クレイは、ステージ(というか砂漠)の縁に座って、ギターを抱えて弾き語りでの演奏だった。優しくてあたたかくて儚くて今にも消えそうでもあった。ライブが終わって、「クレイ色」を調べた。
クレイ色:粘土や土を意味し、生の粘土に近い緑がかった灰色
でも、クレイにはいろんな色があるらしい。
クレイ前に、こどもへ老人が「おやすみ」と言っていた。さよなら、ではなく。クレイでおやすみ、と言っているのと同じように、世界へお別れを告げているようでもあった。
10. ロックスター
ここから騒ぐぞ!みたいな、ぶち上げていくぞ!みたいな、そんなMCが入って始まったロックスター。
みんなで歌う「ダラダラダラ、」も「きらきらきら、」も気持ちよかったな。
あそこにいた多くが、あなたがロックスターなんだよ!ってTeleに伝えたかったと思う。
この歌詞が、ぶっきらぼうに愛を伝えてくれているようでもあり、背中を押してくれているようでもあるからとても気に入っている。
ロックスター から、私小説 の曲間に、
「フェスとかでこの流れよくやってるけど!ここはTeleのための場所だと思っているから!」と言っていた。私小説の詩の世界が、とても美しくて、あの身体を揺らしてしまうリズムが心地よくてたまらなかった。
13-16. ことほぎ-comedy-バースデイ-花瓶
遠くへ歩いて行きたくなる、ことほぎ、そしてことほぎに続いてゆくこの4曲の並びが、楽しくないはずがなかった。武道館が震えるような大合唱でなんだかうるっと涙が滲んだ。幸せな空間だ、と思った。
みんなでパーティーの中にいるような気持ちになったcomedyは踊り出したくなってたまらなくて、これが武道館の今にも落ちそうなスタンドに立っていたわけじゃなかったら、例えば、晴れた日の屋外だったならば、嬉しさを爆発させて踊り狂っていたと思う。いや、あのスペースの中でも暴れてしまっていた自分なら、間違いないだろうな。そんな多幸感だった。
どの曲だったかわからなくなってしまったのだけれども、こんなことを言っていた。
今日は、1万人の声が重なった。重なったんだよ。部屋の中とかじゃなくて、みんなで声を出せて、
ずっと当たり前だと思っていたことが、あたりまえじゃなくなって、でもそれがまた戻ってきた時の感動は計り知れないことを知った。
バースデイを何度もYouTubeで聴いていた
Teleの音楽を聴きたいんだっていう人がこんなにも集まっていたの、やっぱり何回考えてもすごすぎないか?!
これからもどんどん成長していくであろう姿を、なるべく長く、なるべくずっと追い求めて行きたい。
17.箱庭の灯(新曲)
この砂は、音楽だけじゃないんだって、彼は言ってた。自分にとっては音楽だけれどもって。
そして、彼は箱庭療法を音楽でやっているかのようなものだとも言っていた。サポートメンバーは自分の主治医のようなものなんだって。
もしかしたら意味が少し変わってしまうかもしれないけれども、
自分自身が灯なんだって言える日が来るように、自分自身の灯を灯してくれるものを私自身の砂漠の中から見つけて行きたい。
今回のツアータイトルである、「箱庭の灯」という新曲で本編は閉じられた。
En2. 生活の折に、
この曲で終わりにすることは決めていたらしい。
この曲について言及するのは野暮だからやめる。
ただ、この閉じ方がTeleらしいな、とライブを通して思った人は私だけではないはずだ。
愛はどこにいるのか
アンコールの2曲のあと、エンドロールが流れてきた。エンドロール
ライブ終演後、武道館に貼り出されていたポスターも、外側のバナー(?)も、全てが黒いものから、白いものへ変わっていた。それはまるで、あの場所に灯が灯ったかのようだった。
ライブの始めの方から、ツアーの頭なのに、まるで今日がファイナルみたいな雰囲気だ、と感じてしまった。
そしてこのライブを通して、もしかしたらこの人は、自分自身の愛について探しにきているのではないかな、とかそんなことを思っていた。
武道館のセトリ
誕生日おめでとう。
記憶を呼び起こしながら書いているので、記憶違いのところ、順序がおかしいところ、などありましたらそっと目を閉じてください。
しばらくしてセトリを見返していたら、ほとんど全ての曲をやっていた事に気付いた。すごいな。
そして、そんなタイミングで武道館へ行けたのはなんて幸せなのだろう、と思った。
(今回聞けなかったのはghostだけだったらしい)
早く次のライブにいきたい。次のTeleに会いたい!