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Be in the place you are not supposed to be

7月15日は私のC大学大学院時代の恩師の命日です(いや、知らされたのがこの日でもしかしたら亡くなったのはもうちょっと前かも)。すでに5年がたつようで、今までこの日を振り返る余裕がなかった私には浦島太郎のような感じがします。もうそんなに経ちますか。

彼は私の指導教官ではなかったけれど、私の大学院時代に直接的にも間接的にも最も多大な影響を与えてくれた人の一人でした。(今の私を知る方はC大時代は私の暗黒の時代だったように聞いているかもしれませんが、だからこそ、今へつづく本当に深い成長体験をさせていただいていた時期だったと言えます)

私のいた、Communication, Computing, and Technology in Educationというプログラムには、教材や学習環境作りに特化したInstructional Designのコースと、コミュニケーションに特化したCommunicationのコースがあり、まぁ普通に考えると当然ではあるのですが、前者のほうが人気があり(仕事もおそらく取りやすい)、後者のコースにいた私は、心細くCommunicationの子たちだけが必修のコミュニケーション関係の授業をとらねばならなかったのですが、それを教えていたのが冒頭の恩師、Frank Moretti先生でした。

日本の学部で教養科目というものをまったくとらず、古典にもほぼふれずにここまできた私には、ギリシャ悲劇から始まるCommunication Historyや、さまざまな哲学やPolitical Thoeryの本を読むことは、暗号を解読するのに近く、言葉そのものはわかるのに、合わさって文章になると、3度読んでも4度読んでもわからない、という状態でした。このときはわけもわからず、授業の議論にもついていけないので、日本語の翻訳を高い送料出して取り寄せて読んだり(でも日本語のほうが難解で役に立たない)、録音して聞き直したり(それでもわからない)、ノートに聞こえる言葉を日本語でも英語でもかたっぱしからとり(後から見直すとわけがわからない単語の羅列だったりもするのですが)、授業後にはなしにいってもあべこべで先生とも対話にならないのだけれど、とりあえず顔だけは出すということで恥を忍んで教室に重い足を引きずって通っていました。

でもそんな私にも彼の授業には、毎回一回は授業の中身を超えた大きなレッスンが隠されており、彼自身が、そのトピック、その本、その著者、そして私たち学生たちの考えていることに、本当に情熱を傾けていることがいつもひしひし伝わってくる授業で、胸と脳が一緒にあつくなるような瞬間が一学期に何度もあるのでした。

彼が何度も、繰り返し言葉にしていたのは、「教育の意義」についてでした。教育はなにか一つの考え方を学ぶための機会ととらえられがちだけれど、そうではなくて、物事にはさまざまな見方があり、物事をさまざまな角度から見ていく方法、それを学ぶのが学校という場所なのだ、という話を繰り返ししていました。自分自身の受けてきた教育は決してそういうものばかりではなかったけれど、教育大学院で数年勉強していて一番ストンとくる説明でした。

彼は、普段はとても穏やかで思慮深く優しいのですが、時折武者のような、激しい表情をみせて、私たちをまくしたてる事がありました。

You should be in the place you are not supposed to be. (自分がいるべきでない場所に身を置きなさい)

自分がいるべきでない場所にいるときには、自分と違う人間に囲まれているとき。自分がそこに所属する人間でないと感じるとき。それは、上の教育の意義として彼が触れる、物事を違った視点からみる絶好の学習の機会だ、というのです。自分と違う人のとなりにいるとき、自分のこと、自分の世界のことが一番わかるのだ、と。

この言葉を、私は日々よく思います。

おそらく、ほとんどの人にとって、自分がまったく知らない、わからない世界に飛び込んで、つながりが感じられない、受け入れられていない感覚をもつことは、もっとも嫌なことの一つではないでしょうか。少なくとも私はそうです。自分のまわりの気まずい雰囲気を察知したとき、さっと逃げ出したくなる衝動に駆られます笑。

でもそんなとき、いつもFrankのこの言葉を思い出します。これは本当に貴重な学びをしているときなんだなぁと。この言葉に、本当に支えられてきました。

Frankにもらった熱い気持ちを研究につなげたいと思って、勇気をだしてミーティングをセッティングし、親切にもランチミーティングをさせていただくはずだった矢先、彼がどこかで倒れてキャンセルになり、そのまま話す機会を失ったまま、二度と会うことはありませんでした。

Frankに教えてもらった、物事をじっくり考え、普通を疑い、自分の声を鍛え、発し、人を信じて正直に向き合う、そういうことの大切さを教育現場で伝えていける人になりたいなと思います。そういうロールモデルにであえたことは、古臭くて不都合だらけだったけれど、あの大学院にいったから得られた宝だな、と思います。

忙しさにかまけて、雑で浅はかな思考にばかり走りがちな毎日、Frank的な思考を忘れないでいたいと思う今日このごろ。


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