CSSE、Social Justice Education、そして立ち向かうということについて
Canadian Society for the Study of Education (CSSE)で発表があり、Montrealに来ている。旦那と1歳になる息子についてきてもらいなんとか実現した学会参加だが、McGill大学内で起こっている法学部の講師らによるプロテストと、親パレスチナのストライキで、直前にほぼすべての発表が大学外のあちこちの場所に会場変更になり、息子のお昼寝の合間にホテルから気軽に行くことができないため、手広く参加することは諦めてホテルで仕事などしている。自分の発表が(それが専門で一緒に発表した同僚のおかげで)Social Justice Educationの部門で、同じ建物のセッションはすべて同じ部門なため、若干アウェイながら今日は自分の発表の前にYouthに関する一つ他のセッションを見ることができた。
博士課程で一緒で全員異なる大学で研究者となった3人によるセッションで、それぞれ違ったコンテキストでインクルーシブな学習環境を作ってきた経験からの学びをシェアするというものだった。ケアするということはどういうことか、racismにたちむかうとはどういうことか、など、私の仕事のなかでも思うことはたくさんあるものの、言葉を持ち合わせていなかったトピックが、私があまり親しみのないいろいろな研究者の名前やフレームワークを使ってディスカスされているのがとても印象的だった。Social Justiceのフレームワークの知見がまったくないが、私のやっていることとのつながりもふかく、もっと知っていきたいと深く興味をそそられた。
色々とFood for Thoughtsをもらい、同じ年頃の娘と旦那と来ている同僚と一緒に楽しい夕飯を食べ、発表も終わった達成感で心もお腹も満ち足りて歩いてホテルに向かう途中、信号を渡った先で誰かが床に倒れるのが目の隅っこで見えた。私が目を向けたときには、その人を殴って倒したらしい男性が更にその人の頭を蹴り上げようとしていることに気づいた。何メートルも先から血が見えるほどその人が負傷しているのがわかった。私が何が起きているのか理解しようとしている間に、同僚とその旦那はその二人に駆け寄り「やめろやめろ」と叫んで止めにはいろうとし、即座に救急に電話をかけ始めた。幸い二人の声がけに殴りかかっていた男性は一瞬手を止め身を引き、戻ってきたもののその人の取り巻きの人も止めに入って、そうこうするうちに警察が車と自転車でやってきて、事情聴取をはじめた。同僚は娘をケアしながらも、水とワイプをもってきて怪我している人のケアにあっていた警察官に渡していた。事情聴取のために同僚の旦那だけその場に残り、私たちは子どもたちを寝かせるために先に帰路についたが、ヒヤッとする出来事だった。暴力が起きているとき、とっさに割り込む勇気も機転も今日の私にはなかったので、二人の行動に私は深く関心した。
大学でのプロテストといい、道端の暴力事件といい、世の中は荒れている、ことを改めて想わされる出来事が続く。産休がようやくあけて仕事に戻った今、自分の仕事を何に向けていくのか、よく考えたいと思った夜。