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#3 死後の世界

1.宗教の影響を受ける死後の世界


人が亡くなった後はすべてが無になるのでしょうか。

私は、祖父や祖母の火葬の後もいなくなったとは思えず、どこかにいるのではないかと思いました。なくなったことが受け入れられず、見守っていてほしいだけかもしれませんが、肉体が焼かれて「はい終わり!」とは思えなかったのです。

一般的に、仏教の概念では、死者は、49日をかけて浄土を目指すといわれています。死者は、旅の途中で、現世(この世)と冥途(あの世)を隔てる三途の川(さんずのかわ)を渡るといわれています。そのため、棺に入れる副葬品として、船頭に支払う船渡し賃の六文銭があります。六文銭はいわば最後の交通費です。
そして、49日目の閻魔大王様の審判で、六道(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)の中のいずれかの世界に生まれ変わることが決められるとされています。この六道の世界で功徳を積み、解脱をして初めて、悟りの境地である浄土・仏様たちがいる世界に転生できるという考えです。

キリスト教では、死後、5つの世界①地獄、②天国、③辺獄、④幼児の辺獄、⑤煉獄)のいずれかに行くとされており、人間は生まれながらに罪人(贖罪)で、キリストを信じたものだけが天国に行けますという考え方です。

ヒンドゥー教には死後の世界はなく、輪廻転生が基本です。

このように、死後にどこに行って何をするかというのは、生きている間に自分が信仰した宗教や生前の影響が大きいとされています。「死ぬと無になる」と事前に聞いていた人が実際亡くなって、意識体の存在になった時に、行く先のイメージができず、なかなか辿り着けないと聞くことがあります。こればかりは、確認のしようがないので、本当のところは分かりませんが、死んだら意識体になって、あの世に行くと思っておいた方が、迷子にならず、対応しやすいのではと思っています。


2.死後は意識体になる

死後、肉体から抜け出た意識体は、家族が自分のお通夜やお葬式、火葬を行う様子を上から見て、自分が亡くなったことを徐々に受け入れていきます。
仏教では、7日、14日とあの世への旅のポイント地点が示されることがありますが、私は人によってこの世に留まる期間に差があって、49日というのはその目安であると考えます。
そして、49日を目安にあの世に渡り、自分の一生のターニングポイントとなった点が凝縮された映画のような動画を見るといいます。自分の行いが良いものであったか、反省すべき点があったかを振り返ると言います。ここでの良いというのは、善と悪という観点からというより、自分の心がどのように感じて、どう捉えたか、どう行動にうつしたかということです。例え、人に危害を加えたとしても、我が子を守るため、または自分の信念を貫くために取らざるを得なかった手段であったと納得して行ったことであれば、周りからの理解を得られなくても、自分の心や魂に基づいて行った行為ということであの世では咎められることはありません。ただ、些細な嘘や行動であっても、そこに嫉妬や傲慢な考え、利己的な表層の欲に捉われて行った行動であれば、あの世的には心や魂に基づいた行動でなかったと考えられます。3次元のこの世では、目に見えるものや事実に重きを置いて判断することが多いですが、高次元のあの世では、心の持ちようや意識の部分まで見て判断されます。

また、死んでもこの世になんらかの未練があり成仏できない霊を不成仏霊と言い、自殺して、自殺した自分を責めている人は、自分が自殺したことを忘れて、また罪悪感に縛られて、何度も飛び降りるのを繰り返す場合があります。あの世に行けずに地縛霊となった状態です。
幼い子どもを残して亡くなった母親は、子どものことが気になって、この世に留まることがあり、自ら不成仏霊となることを選択する人もいます。
また、交通事故や災害などで急に亡くなって、自分でも事態を飲み込めず、死んだことを受け入れられないうちは、受け入れられるようになるまでは不成仏霊として、この世でさまようと言います。

3.塩が効く理由

お祓いやお浄めで塩を用いる理由は、基本的には塩は蒸発しないという特性を持つので、重い想念を捉えることができるからだと思います。

悔しい気持ち、誰かを憎む気持ち、恨み辛み、嫉妬、心配という感情は、粒子が荒く、重い感情・波動・エネルギーです。これに対して、嬉しい、楽しい、ワクワクするという感情は、粒子のキメが細かく、明るく軽やかな感情・波動・エネルギーです。

目には見えませんが、感情ごとに異なる重力を帯びており、お祓いやお浄めでは、重いエネルギーを払う必要があるため、揮発性のない、重いエネルギーを包んで捉えるお塩を使うのだと考えます。


4.成仏に必要なもの

死者が成仏するためには、「自分が死んだことを受け入れること」が必要になってきます。そして、何かをやり遂げられなかったという後悔、誰かや物事に対する執着、嫉妬や恨み、自分が近くでサポートしたいという気持ちなどを持たない状態になることが必要になります。

そして、次に、重要なことは、「残された人たちが、死者が死後に安らかに過ごせるよう祈ること」です。お葬式という儀式、仏壇に手を合わせること、お坊さんにしっかりと供養してもらうことといったことです。アフリカのガーナでは、死によって今世は終わったが、新たな人生の始まりでもあると捉えており、平均寿命以上で亡くなった場合は、「故人の新たな人生をみんなで祝福する儀式」として、亡くなった方と面識がない人も、お葬式に参列し、大勢で歌って踊って、パーティのように過ごすと言います。

また、アイヌ民族の方も、死者があの世に行くには、家族や知人など、大勢の者から見送ってもらうことが必要と考えていると言います。

このように、亡くなった人がスムーズに成仏してあの世に行くためには、自身がこの世に未練を持たず、あの世に行くと考えていることと、残された人たちの祈りの力が必要になるのだと考えます。







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