沖縄、首里城全焼火事で思うこと
10月31日那覇市にある「世界遺産」、首里城跡に復元された首里城で起こった大規模な火災について、1日午前に那覇市警察署、および消防と合同で現場検証が行われました。警察は城の主要な建物である「正殿」の内部から火が出たとみて、正殿を中心に詳しく調べるなどして、出火原因の特定を急ぐことにしています。
警察は正殿内の北側から火が出たとみて、正殿を中心に詳しく調べるなどして、出火原因の特定を急ぐとともに、次々と城内の建物に燃え広がった要因などについても解明を進めることにしています。 (NHK NEWS 引用)
首里城は貴重な歴史学習ツールだった
首里城は第二次世界大戦の沖縄戦で灰燼し、1992年の沖縄本土復帰20周年を記念して国営公園として復元されました。また、中国と日本の築城文化を融合した独特の建築様式や石組み技術には高い文化的・歴史的な価値があるとされ、首里城跡は2000年12月に、日本で11番目の世界遺産として登録されています。
主な沖縄の歴史
1372年 、中山王・察度 1372年 中山王・察度(さっと)、はじめて明に使者を送る。
1406年 尚思紹(しょうししょう) 1406年 尚思紹(しょうししょう) 尚思紹(しょうししょう)《尚巴志(しょうはし)の父 尚巴志(しょうはし)の父 尚巴志(しょうはし)の父》中山王になる。
1427年 龍潭(りゅうたん)を掘り、庭園を整備。
1429年 尚巴志、三山 1429年 尚巴志、三山(さんざん)を統一し「琉球王国」が成立。
1453年 王位継承をめぐる争い「志魯(しろ)・布里(ふり)の乱」が起こり首里城が全焼。
1501年 王家の墓、玉陵(たまうどぅん)を造営。
1522年 真珠道(まだまみち)が整備される 1522年 真珠道(まだまみち)が整備される。
この頃(1527年~55年)龍樋(りゅうひ)、首里門(守礼門)を創建。
1546年 防御の強化のため首里城東南の城壁を二重にして継世門(けいせいもん)を築く。
1609年 薩摩軍3,000名の兵で琉球を攻める。
1660年 失火により首里城が全焼。
1672年 首里城が再建される。このとき正殿の板葺(いたぶき)を瓦葺(かわらぶき)に改める。
1709年 失火により首里城が全焼。
1712年 首里城の再建がはじまる 1712年 首里城の再建がはじまる。
1715年 首里城正殿再建が完了する 。
1729年 正殿の玉座を中央に移し、「唐玻豊(からはふ)」と改名 1729年 正殿の玉座を中央に移し、「唐玻豊(からはふ)」と改名。
1853年 アメリカ海軍のペリー提督、那覇に来航する 1853年 アメリカ海軍のペリー提督、那覇に来航する。
1879年 当時の日本政府が首里城明け渡しを要求し、国王がこれに従ったため 1879年 450年に及ぶ琉球王国は崩壊、沖縄県が誕生。
1945年 沖縄戦により首里城は壊滅する 。
1958年 守礼門を復元 1958年 守礼門を復元。
1992年 首里城公園の一部が開園する