アニメ『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』 第3話「CRYCHIC」の主観映像を中心に
こんにちは。
アニメ『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』について、主に第3話「CRYCHIC」の主観映像を中心に書いて行こうと思います。第3話以降の展開にも触れるため、未見の方はご注意ください。
この記事は『アニメ「BanG Dream! It's MyGO!!!!!」note感想文コンテスト』参加記事であり、当記事で使用した画像は全てブシロード公式noteにて配布されたものです。
普段は、はてなブログでアニメなどの感想を書いています。
アニメ『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』とは?
メディアミックスプロジェクト『BanG Dream!』を原案としたアニメ作品。世界観は前作までと共通ですが、新たなバンド「MyGO!!!!!」を主人公とし、今作からでも入れる作りになっています。
第3話「CRYCHIC」
本作で特に重要な回の1つとも言えるのがこの第3話。この回では、他の人のように(人間に)なりたいと思っている燈が、豊川祥子と出会い、バンド「CRYCHIC」を結成し、その「CRYCHIC」が壊れてしまうまでが描かれています。
この回の特徴は、多くのシーンが高松燈の主観視点となっていることです。燈自身が画面に映ることは少なく、本人の姿が確認できるのは鏡や窓に写ったシーンになっています。このような主観視点の映像を作りやすいのも、3DCG主体で作られた作品の利点と言えるかもしれません。
祥子と出会うシーン、落ちる花を追おうとした燈は、橋から身を投げようとしていると勘違いされ祥子に止められます。あの時の燈は、「人間になりたい」と思いながらも、どうすればいいかわからない、自分の今の場所も(どの程度身を乗り出しているかも)わからないという意味で迷子でした。そんな中で祥子に引っ張られ、想いを書き留めたノートを歌詞と勘違いされ連れて行ってもらう先が、迷子だった燈が探していた(大切なものになる)場所「CRYCHIC」なのでした。
ここで燈が書いていたのは歌詞ではなく、言わば祥子に勘違いされてしまった形ではあるのですが、そこは問題ではありません。歌詞として書いていなかったとしても心の叫びであることは事実であり「燈の歌詞は心の叫びなのですから」。
自分の想いが祥子によって曲付きで歌いあげられるのを聴く燈は、過去に感じたことを思い返します。音楽にすることで想いが伝えられることを、視聴者と共に身をもって感じる瞬間です。
若干余談ですが、燈が今いる場所(足元)を見ずに踏み外し止められるもう一つのシーンが、10話の階段での初華とのシーンです。あのときも、自分のすべきことを見失っていた燈に対して、初華は「詩だと伝わる気がする」と燈の行くべき場所を教えてくれたのでした。
千早愛音と「一緒に迷子になる」と手を繋ぐシーンや、そよの腕を引っ張るシーンなどもそうですが、迷子になっている人にはまず最初に手を繋ぎとめ、どこかに行ってしまわないようにするのが大切なのでしょうね。
さて続いて、羽沢珈琲店で初めて「CRYCHIC」の5人が集合した場面、燈はノートを若葉睦、椎名立希、長崎そよの3人に見せることになります。歌詞としてそれを読んだ3人は「読んだ」「こういう感じか」「歌詞書いたことないから書けるだけで凄いよ」と、祥子ほど感銘を受けた風ではありませんでした。燈が自分の想いをそのまま書き下しただけでは、多くの人には伝わらないことがわかる場面です。
うまく歌えない燈が祥子と共に燈の自宅近くの歩道橋で叫ぶ場面。奇しくも、燈が祥子と初めて出会ったのも橋でした。ここで咲子が「燈の歌詞は、心の叫びですから」という、重要な台詞を発します。
カラオケに行った場面、カラオケにいる映像の合間に、燈の書いた「春日影」の歌詞が挟まります。このカラオケを含めた楽しい日々で燈が感じたことが、歌詞となっていく様子が表現されています。
「バンド楽しいと思ったこと一度もない」という睦も笑っている(演奏は楽しくなくても「CRYCHIC」の日々は楽しかったはず)し、燈も笑っています。祥子の「燈の笑顔、可愛らしいですわね~。もっと見せてください」という台詞まであるのですが、視聴者には燈の笑顔は見えません。しかし、見えずともいい笑顔であることが想像できるのが良いですね。
初めて燈が歌詞として書いた「春日影」の歌詞を読み、祥子は涙ぐみます。初対面時と同様、楽曲にする前の文字の状態から祥子は燈の想いを汲み取れているのです。「春日影は、私たちの歌ですのね」とは、燈が「CRYCHIC」での日々を通じて感じた想いを歌詞にしたことを感じ取れたから発した台詞でしょう。
スタジオの鑑の前での春日影の演奏シーン、燈は自分のことを見て、周りのCRYCHICのメンバーのことを見ます。まさに「春日影」は「CRYCHIC」の曲なのです。
ライブでの披露後、祥子に加え、燈の歌詞を読んだだけではピンと来ていなかった立希とそよも興奮した顔をしています。観客のいる場所で演奏しきった高揚感もあるでしょうが、何よりライブを通して燈の想いを感じ取ったからでしょう。燈の心の叫びがライブという形で、立希やそよ、そして「CRYCHIC」をよく知らない観客にまで届いたのです。
主観映像で燈の感情の動きを追っていた視聴者も、会話で伝えるのが得意でない燈の想いが人々に通じたことに達成感が得られたことでしょう。
しかし、そこから間髪入れずに、1話冒頭の解散シーンが燈の視点から再び描かれます。第三者視点で観た解散の場面を燈の視点から改めて観た視聴者は、当時とは大きく受け取り方が変わるという作りになっています。
最後の場面、「みんなみたいに涙するほど大事なものが欲しい」と思っていた燈が羽丘女子学園で見掛けた祥子に避けられたとき、画面全体が滲みます。「CRYCHIC」と、それを象徴とする存在である祥子こそが、燈にとって涙するほど大切なものだったのです。
重要なのは、この回は燈の視点であるため、結局なぜCRYCHICが解散したのか(なぜ祥子が辞めようとしたのか)がわからないまま終わるということです。どうすれば良かったのかわからず、初めて涙するほど大切と思えたものを失ってしまった燈の喪失感を、視聴者は燈の視点を通して体感することになる回でした。
「想い」と「それを伝える手段」
第3話を通じて燈の感情の動きを把握することで、その後のライブや、詩を読み上げることで、燈の想いが伝わる様子を感慨深く感じることができます。第7話でも「春日影」を歌い、改めて祥子に燈の想いを届けることができました。第10話でもそよの手を放さず、「詩超絆」を歌い一緒に演奏することで想いを伝えることができました。
『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』に登場する他の登場人物を見ると、程度の差はあれど自分の気持ちをうまく伝えられずにもがいている人物が多くいます。
例えば、立希は一見思ったことを正直に出しているように見えますが、本当に気持ちを伝えたい相手である燈に対しては不器用になってしまいます。
そよは、忙しい母親の代わりに大人にならざるを得なかった背景から、自分の気持ちを隠して場を表面上穏便に済ませるように動き、裏でCRYCHIC復活を画策します。「MyGO!!!!!」の一員であり続けることを決めてからは、これまでの反動か辛辣な面も見せる(「MyGO!!!!!」のメンバーになら見せられる)ようになっていきます。
要楽奈は少ない言葉や行動、演奏で気持ちを表現していますが、すぐに伝わらないこともあります(「おもしれー女」という言い回しなど)。
睦は言葉や見てとれる表情の変化が少なく言葉選びもあまり上手くなく、誤解されやすい人物です。彼女も音楽ならもっと伝えられるのかもしれません。
愛音は見栄もありつつも比較的素直に気持ちを言葉に出している人物であり、そんなところが燈にとっての救いともなっているのでしょう。
色々な登場人物が想いを伝えられずにいる(迷子である)中で、燈がライブや詩で気持ちを伝える姿が眩しく感じられるのです。
では豊川祥子は?
愛音と同様、3話の祥子もまた自分の想いを真っすぐに伝えられる人物でした。しかし「CRYCHIC」解散以降は、少なくとも燈やそよには自分の想いを伝えようとすらしない、むしろ断固拒絶するような行動を取っています。そのため、祥子がなぜ辞めてしまったのかは明言されず、現状では(最終話ラスト含め)いくつかのシーンから推測することしかできません。
そんな中で祥子の想いがわかる貴重なシーンの一つが、7話のライブシーンです。ライブ会場に訪れた「碧天伴走」をうまく歌えない燈に対し、顔を見開いて燈に何かを伝えようとします。燈はそれを祥子からの「頑張れ」だと受け取り、無事歌い上げることができます。言葉がなくても想いが伝わっている場面ですね。
続いて、言わば事故のような形で楽奈が「春日影」の演奏を始めてしまいます。ここでステージを見つめる、祥子による主観の画面が滲んでいきます。この場面こそ、祥子自身が涙を流すほど大切だったものを失ったと改めて感じた瞬間だったのでしょう。
さて、迷子でも進み、心の叫びを伝えようとするバンド「MyGO!!!!!」の対となるのが、世界観を作り、仮面で顔を隠したバンド「Ave Mujica」です。祥子は「Ave Mujica」を通じて何かを表現しようとしているのか?「Ave Mujica」のメンバーには自分の想いを打ち明けているのか?「迷子」でいることも許されない祥子を「Ave Mujica」のメンバーは救えるのか?それらは続編『BanG Dream! Ave Mujica』に期待することとしましょう。
おわりに
というわけで、3話「CRYCHIC」の主観映像を中心に『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』における「想い」や「それを伝える手段」の話、そして豊川祥子について、7話の主観シーンにも触れつつ述べてきました。
『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』という作品は多層的で、色々な角度から観ることで色々な情報が得られる作品だと思います。この記事でも触れられなかったことは多いですが、読んだ方に何かが伝われば幸いです。