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20240923:デニス・ジョンソン『海の乙女の惜しみなさ』を読んでる1

母にiPhoneを持ってもらうために実家に帰ることにした。
北上する電車でデニス・ジョンソン『海の乙女の惜しみなさ』から「アイダホのスターライト」を読む。

アル中の33歳が書く手紙という形式の断章になっており、ときどきにより情緒が変わる。
あるときは神に毒づき、あるときは獄中にいる母を憐れみと怒りを持って見つめる。
「ふつうの日本人」から見たら鼻をつまみたくなるようなひどい環境。
だけど、彼の視点から見た家族は愛に満たされている。

気になったのは悪魔の存在。
時々彼は悪魔に会っている。それはアルコールを止められなくて病院で半死半生で目覚めたときだったり、彼の兄が女性を殴って「これにて弁論を終了する」と言い放った時だったりする。
悪意の存在が本人に帰属するものではなく、悪魔によって唆された結果としての行為という。
そうでも思わないとこれだけ酷い悪意の存在が自分や家族にあると認めたくないのかもしれない。

いま世界でロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナが大きな戦争をしている。そこでは単に弾丸の撃ち合いだけではなく、目を背けたくなる残虐な行為が行われているという。
そこに神はいるのだろうか?
悪魔はなぜ彼らに取り憑いて残酷な行為を当然のように感じることができるのだろうか?

わたし個人としては神も悪魔もいない。
ただ人間はどこまでも残酷になれるだけ。
でも、それは平和で穏健な世界で誰とも争わずにいられるから言えることかもしれない。
極限の状況になったら自分以外の誰かに罪をなすりつけたくなるのかもしれない。その理由を受け止めてくれるのが神だとしたら、いつまでたっても争いはなくならない。

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