note上で文書を公開するにあたって、改まって書くのも気恥ずかしいが、せっかくの機会なのでつらつら認めたい。 五条別れ京都市内には別(分)れとつく場所がいくつか(ざっと調べたところによると8カ所で、柊野はフォント「ヒラギノ」の語源)ある。 そのうちの「御陵(みささぎ)中内町道標」(通称、五条別れ)は、幕末の江戸末期に建てられ、そのまま進めば東海道の終着地「三条大橋」へ、左に折れれば「五条・伏見方面への近道」を示す役割を担っていた。 JR山科駅から旧三条通を西へと進んだと