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アップリンク:パレスチナ映画特集 「イスラエルとパレスチナ:ガザの悲劇を超える道はあるのか?」/川上泰徳(中東ジャーナリスト)                                      

アップリンク:パレスチナ映画特集「イスラエルとパレスチナ:ガザの悲劇を超える道はあるのか?」中東ジャーナリスト、川上泰徳が2024年7月から8月にかけて1か月、パレスチナとイスラエルの現地取材の記録を構成し、アップリンク吉祥寺で上映、Q&A付きトークショーを開催いたします。そしてこの度、パレスチナ映画特集で上映される『忘れない、パレスチナの子どもたちを』『私は憎まない』『ガザ=ストロフ』について寄稿をいただきました。

昨年10月7日のハマスの越境攻撃へのイスラエル軍の報復攻撃で、ガザでは4万人以上が死んだ。すでに「報復」ではなく、「ジェノサイド(皆殺し)」になっている。特に子供の死者が7月に1万6千人を超えた。国連が毎年発表している世界の紛争•戦争での子供の死者は2021年2515人、2022年2985人である。イスラエル軍の10か月間の攻撃で、ガザだけで世界の戦争の5年分以上の子供が死んでいる。
 
アップリンクのパレスチナ映画特集で上映される『忘れない、パレスチナの子どもたちを』は2021年の5月の11日間で子供60人以上が死んだイスラエルによるガザ攻撃を扱っている。カメラは死んだ子供たちの家族を訪ねて、子供の写真や服、おもちゃなど遺品を並べ、カメラの前で兄弟や両親が子供の思い出を語る。全編が子供一人一人へのレクイエムとなっている。
 
この1年間で死んだ子供の死者1万6千人は、2021年のガザ攻撃の240倍となる。2021年は「忘れない」が描いたように攻撃が終わった後、家族が死んだ子供たちを弔い、偲ぶことができた。いま、ガザの人々は1年経過しても、家族の死を悼む時を持てないままだ。
 
『私は憎まない』と『ガザ=ストロフ』は共に、2008年12月末から09年1月中旬まで22日間続いた最初のガザ攻撃を扱っている。死者約1400人。『ガザ=ストロフ』は停戦直後にガザに入り、人々の生々しい証言を記録する。『私は憎まない』は自宅への攻撃で娘二人を失った医師が戦後、イスラエルに謝罪と賠償を求めて裁判を起こす。最高裁でも「戦争で人命は失われるものであり、国家に責任はない」と謝罪はなかった。
 
この2本の映画を見れば、今回のガザ攻撃の始まりが15年前の攻撃にあることが分かる。民間人の死者だけでなく、人々が避難している国連小学校への攻撃で40人以上が死んだ。イスラエル軍は学校内からロケット攻撃があったと主張したが、その後の国連の現地調査委員会の報告書で、学校からの攻撃はなかったとした。今回のガザ攻撃でも、「ハマスがいる」と学校への攻撃は日常化し、7割の学校が被害を受けた。
 
 『私は憎まない』 の医師の法廷闘争のように、イスラエルは戦争でどれだけパレスチナ人の命を奪っても、非を認めることはない。ガザ攻撃は2012年、2014年、2021年と繰り返された。国際社会はどこかでイスラエルの過剰な軍事力行使を制止しなければならなかったのだ。
しかし、米国は、イスラエルに不利な安保理決議に拒否権を行使し続けてきた。今回のガザ戦争では、欧米の多くの都市で大規模な反イスラエルデモが起こったが、米国は武器を提供し続け、英国、フランス、ドイツ、そして日本も、イスラエルの「自衛権」を支持し続けた。ガザは国際法や国際人道法の埒外(らちがい)にあるかのような惨状が広がった。
 
日本からは余りに現実離れして見えるガザ情勢をいくらかでも近い場所で見るために、私はこの夏、約1か月、エルサレムに滞在した。ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区とイスラエルを取材した。ガザに入ることはできないが、「パレスチナ映画特集」関連イベントとして取材記録を「〝壁〟の外と内 パレスチナ・イスラエル現地最新報告」として上映する。
 
西岸ではイスラエル軍占領下にある町村を訪ねた。自治政府が治安と行政を管轄するA地区は西岸の18%しかなく、イスラエルが治安権限を握るB地区22%とC地区60%はなお占領下にある。
B・C地区では10月7日以降、イスラエル軍によって地域が封鎖され、「違法建築」として住居の破壊が行われ、学校の破壊さえ続く。住民たちは「イスラエル軍は我々を追い出そうとしている」と口を揃えた。
 
さらに150か所近いユダヤ人入植地があり、50万人以上が住む。パレスチナの村に、近くのユダヤ人入植者の集団が夜、襲ってきて、家や車に放火したり、村人に暴力を振るったりという暴力が現ネタニヤフ政権下で激しくなり、10月7日以降は歯止めがかからない状況になっているとパレスチナ人は訴える。
 
北部ナブルス郊外のフワラという町でスーパー・マーケットの経営者が防犯カメラに記録された映像を見せた。2023年6月、買い物をして店の前の駐車場から出ようとする客の車に、手斧を持った男がガラス窓に斧を何度も打ち付ける様子が記録されていた。入植者の襲撃である。「イスラエル軍も入植者を取り締まろうとはしない」と経営者は訴えた。
 10月7日以降、西岸ではイスラエル軍や入植者の暴力で700人近いパレスチナ人が死亡し、5000人以上が負傷し、1万人以上が拘束されている。自治政府はイスラエルの暴力に全く無力で、人々は無防備で、一方的に暴力を受けている。
 
西岸とガザと対面式で実施されている独立系機関の世論調査がある。10月7日以降のイスラエルの攻撃の下で、ハマスに対する評価が高い結果が出ている。6月調査では「政治勢力への満足度」で、ハマスへの満足度はガザで64%、西岸では82%に上る。一方、自治政府を支配するファタハへの満足度はガザ23%、西岸25%で、共にハマスの半分以下である。
西岸のB、C地区の人々の絶望に実際に接して初めて、ガザで占領と戦うハマスという組織がいるのを8割以上が評価する思いが理解できた。
 
ネタニヤフ首相は「ハマス壊滅」を掲げるが、イスラエル軍幹部でさえ、壊滅は不可能と発言する。ハマスは軍事部門だけではなく、行政を担当する政治部門やイスラム的貧困救済を行う社会慈善組織を持つ。9月前半、ガザ全域で10歳以下の子供60万人にポリオワクチン接種が行われたが、実施の主体はハマス統治下の保健省であり、協力した国連は目標以上の達成率と評価した。
 
ガザのハマス体制は崩れておらず、世論調査では戦後のシナリオとしてガザの52%が「ハマスの復権」を求めている。ガザ戦争の後は、占領と闘わなくなったファタハやPLO(注1)に代わって、ハマスが西岸でも、ガザでも民衆の支持を得ることになるだろう。米、英、仏、独が日本を含めてガザの戦後構想で「ハマス抜き」を唱えるが、ハマスを外して1からガザ統治を構築するのは非現実的である。
 
 一方のイスラエル側では、エルサレム郊外でハマスに拉致されているイスラエル人の解放のためにハマスとの停戦を政府に求める大規模なデモを取材した。欧米の都市で起きている反戦平和デモではなく、イスラエルのデモはあくまで人質を解放するためのデモであり、イスラエル軍がガザで行っている無差別攻撃を非難するものではない。
 
私は2001年の第2次インティファーダ(注2)のころ、朝日新聞社のエルサレム特派員だった。その時、高校を卒業した若者たち50人以上が兵役拒否を宣言した。若者たちを取材し、記事を書いた。その一人のハガイ・マタル氏がジャーナリストとなり、現在、イスラエルの独立系メディア「+972マガジン」の経営責任者となっている。
 
マタル氏は私のインタビューに答えて、「イスラエルの主要な新聞、テレビには占領の実態もガザ戦争の事実も出ない。ほとんどの国民がパレスチナ人の苦境や惨状は知らない」と語った。BBCやCNNなど外国のメディアを見れば、ガザの状況は日々流れ、SNSでも知ろうと思えば知ることはできる。しかし、イスラエル国民は自国の〝悪事〟をあえて知ろうとはしない。代わりに新聞・テレビでは毎日、10月7日のハマスの越境攻撃の惨事が過去映像や新たな証言として流れる。イスラエル国民はガザで4万人以上を殺してなお、「10月7日テロの被害者意識」に留まっている。
 
イスラエルが西岸とガザに建設した分離壁の外で占領に押しつぶされているパレスチナ民衆と、〝壁〟の向こうの現実に目を向けないイスラエル国民。隣り合いながら、世界で最も遠い二つの人々に、どんな未来があるのだろうか。
 
一つの救いは、ハマスは「イスラエルを認めない」と主張しながらも、2017年の新政策文書で明確にした政治目標は「イスラエルの破壊」ではなく、「1967年(の第3次中東戦争以前)の境界でパレスチナ独立国家の樹立」である。つまり、国連安保理決議に基づくイスラエルのヨルダン川西岸、ガザ、東エルサレムでの占領終結によって、停戦を実現するという考え方である。
ネタニヤフ首相ら強硬派は「ハマスはイスラエルを破壊しようとしている」と宣伝するが、それはパレスチナ側が望み、イスラエル穏健派が求める「二国共存」を拒否しているだけである。
 
イスラエルでの救いはこの夏、「戦争犯罪に関わりたくない」と兵役拒否を決めた18歳の若者3人に話を聞くことが出来たことだ。今年6月、高校を卒業し、8月の召集を控えての決断。イスラエルでも「現実」に向きあい、パレスチナ人との共存に到る(いたる)道筋は、糸ほどの細さではあるが、確実に存在することを若者たちは示している。
 
 
注1)PLO:パレスチナ解放機構
注2)第2次インティファーダ:イスラエルとパレスチナの和平を目指した2000年7月の会談で最終合意に失敗したことが引き金とされ、イスラエルのアリエル・シャロンが神殿の丘に挑発的に訪問したことで同年9月に勃発した反乱
 


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