何が好きかより何が嫌いかで自分を語れよ!

正月なんで久々にテレビを観たら大谷のインタビューの一語一句スタジオで考察してて聖書みたいだなって思った。スポーツの世界って評価に客観性があるからわりと好きだ。芸術やエンタメの世界ならば、どんな優れた批評家がいようと結局のところその人の好みにによるからだ。音楽で言えば売れている音楽が一番いい音楽だとは言えない。その点、スポーツの世界ならどんなに嫌な奴だろうとその人が優れていることは明白になってしまう。そこがシビアで残酷で良いところだと思う。

サブカルチャーの人間になると特に売れてるものに対する抵抗で素直に好きになれないみたいなところがあると思う。
もはや好きよりも嫌いなことの方が本人の心みたいなものを表してしまう気がする。おそらくは何かしらの著名人を嫌いになる時、その人物と私の人生で出会った誰かとの類似性を見いだして、その記憶が呼びさまれる故に嫌いという感情になるんじゃないかと考察する。
なので私は嫌いということに割と抵抗がある。好きならともかく嫌いはその人の心を見透かされそうという怖さがあるのだ。

しかし、人となりが良く分かる方のはその人の"好き"よりも"嫌い"な方な気がしていて、好きでわかることより嫌いの方が情報量としては多い気がする。しかも嫌いという感情は汚いものなので、嫌う行為自体が嫌われる。
とくに、最近のネットは憎悪ばかりだという意見がある。

それはその通りなのだが、多分そういったものを排除して行った時はもっとやばい爆発が起こるというか、健全であるが故にネットには憎悪があるんじゃないかと思うんですよね。

ようは嫌いは排泄みたいなもので、2chなんかはよく便所の落書きって言われてましたけど、それがネット全域に広がったのが現在なんでしょうね。トイレはやっぱり汚いものなんでしょうがないと思います。でもトイレがなかったら街が野糞で溢れかえる事になるのでやっぱり必要なんでしょうね。

でも私は別やで?私の嫌いは綺麗なうんこなんで一緒にしないでください。あと私を嫌いになることも許しません。無理矢理でも好きになってください。

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