蟻のままの生
以前カタツムリが、消えたという記事を書いたが、
「蟻」も昔に比べると、だいぶ少なくなった気がする。
子供の頃,僕は「蟻」が好きだった。
クワガタやカブトムシのような、勇ましい角を誇らしく構えた、威風堂々たる王者の風格をした虫より、小さく、そそくさと、忙し気な「ちび助」の彼らの方が、「落ち着きがない」と言われ続けた、劣等生の僕には、親近感が持てた。
子供でも、運動は「脳」の働きによるものである事は知っていたから
あの小さな体に、収まる程度の小さな脳で、あのような、俊敏な行動が、何故可能なのか不思議に思い、
「蟻及び昆虫の脳」について調べてみた事が有る。
すると、当然だが、脳は有る、昆虫によって、それは、頭部に有ったり胸部だったり腹部などと、その場所は、昆虫によって、まちまちであるそうだが
一方大きさは、どれも「似たり寄ったり」で、決して大きくはない。
しかし、「生きる」「生存する」という目的の為には、少しで大きい方が有利ではないだろうろうか?
彼らは、何故「脳の進化」を止めたのだろう?
きっと、必要なかったのだろう、彼らは、じつに、よく自然と、調和し「正しく」生きている。
進化論によれば、進化は突然変異の賜物であるらしいので、
我々の方が「偶然」の突然変異によって産まれた奇形の猿で、
しょせん「欠陥品」の「できそこない」なので、蟻のように自然の一部であることが出来ない。
「進化を必要としなかった生」と「進化せざるを得なかった生」どちらが幸せだろうか?
それは、きっと「進化してしまった脳」でいくら考えても出せない答だろう。
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