ひずみ~世界の歪みから・シルバーブロガー かく語りき~
以前、脳の疾患(脳卒中)」を患った事がある
脳に損傷を負うという事は、
実に不思議な体験で、
MRIで撮影された脳の断面画像には、はっきりと白い影(損傷部位)が写っている。
その後、再発も経験し、健常者に比べると、正常に機能している脳の部位は明らかに少ない。
脳が個人の「自我」とか、「個性」や「人格」の源であるなら、発症前の自分と発症後の自分がまったく同一である保証は、どこにも無いし、むしろ、違ってしまっている可能性すら有る。
脳の様子が変わってしまった事はMRIで、一目瞭然だから、
少なくとも疾患による損傷部位の有無は、違っている。
例えば、僕が今、ある映画を見て、感動のあまり、思わず泣いてしまったとする
果たして、疾患以前の僕も同じ映画で、そこまで感動するかどうか?は、分からない。 では、そこで泣いているのは、誰?「僕」か、それとも、「僕の脳の傷」か?
今、僕が見ている景色は、他の人にも同じように見えているだろうか?全く違ってしまった脳で見てるのに?
たかが脳に傷が付いただけで「自我」とは、こうも揺らぐものだろうか?
僕が揺らぐという事は、僕にとっての「世界」が揺らぐという事でもある。
僕がこうして、書いてきた珍妙なエッセイ記事は、そんな「揺らぎ」から生まれ、又、それが僕が書く理由でもある。
頭蓋骨の中の「脳」と呼ばれる有機物、それが「僕」なの?
そこに傷が無かった頃の脳と、今の脳どちらも、同じ「僕」なの?
誰も、今日(今)の自分が、昨日(過去)の延長上に存在している事を前提にしている、言い換えれば「自分」とは、「自分史」の事でもある。
しかし、寝ている間に爪や髪は伸び続けているように細胞レベルでは「自分」は、常に更新されているが、誰もいちいち昨日の自分と今日の違いは意識せず「同一」と捉えている。
僕は、その「同一」の筈の延長線上に断絶(病による変質)が有るから、
自分が自分である理由が希薄で、その不安が、僕におかしな記事を書かせているのです。
大病を経験した人は、分かるだろうが
病床とは、実に不思議な空間で
普段は、日常に追われて考えもしない様な事を思ってみたりする。
すると、退院後、以前と趣味・趣向が、変わっていたりする。
僕も以前は、門外漢だった「量子力学」の本を読んでみたりしていた。
理系オンチの僕には、あいにく、あまり分からなかったが、
同科学理論によると、観測者の「観測する」という行為が、対象に影響してしまう、というのだ、つまり、量子は観測されている時と、そうでない時と、では、違う動き(姿)をするらしい。
よく「女は見られて綺麗になる」等と言うが、量子レベルでは、「世界」も同じような変化があるらしいのだ。
この際の「観測するという行為」とは、「誰の」行為であっても同じなのだろうか?
でなければ、僕の受傷の前後で世界は、少し変わってしまった事になるでしょ?
そんな世界の歪みの中に僕は居て、
そこから、おかしな記事を綴っています。
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