便利と不便は隣り合わせ

先月、突然パソコンが故障しました。 僕の仕事は「在宅事務」なので、パソコンを修理するか、買い換えるまで、臨時休業になってしまった。

 当然、休んでいた分、今月の給料も少なかった。 

僕は新聞を取ってないから、主な情報源はテレビニュースとネットだけだったので、PCの無い不意の長期休業は苦痛だった。ネットなんて、長い人類史上、つい、最近始まった文化だから、もともと、無くたって誰も困らなかった筈なのに、いつの間にか生活に欠かせない物になっていた。特に僕はそれで仕事をしているから、今回のPC故障は、大困惑だったが、昔の人は、そんな物無くたって、幸せに暮らしていたのだから、便利も過ぎると、かえって、不便なのかもしれない。

不便だった先月は、空腹時の食事の方が、満腹時より、食の「有難み」を強く感じるように、便利と少し距離を置く生活を経験した事で、今は、以前より「便利」の有難みを実感出来ているが、

我々の生活に必要なモノなんて決して多くない。食料・健康・安全・仲間ってところぐらいで、便利は無くても良いのでは? 便利が当たり前になってしまうと、もともと、世界は便利に出来ていないのに、「不便・理不尽」に直面した際、いちいち困惑し「世界ってそんなモノでしょ」と、ありのままを受け入れられなくならない?いちいち困っていたら、埒が明かない。

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