屋根裏天文学
先日、太陽系に,もう一つの惑星が「存在する可能性」が有るという説が発表されました。
現在分かっている八つの惑星が、円形ではなく楕円形の軌道で太陽を回っている事から、
「その楕円 の反対側を回る星が存在している筈だ」と判明したという。、
そのような星が存在しないと、「つじつまがあわない」らしい。
果たして、そんなふうに、原因と結果が綺麗に繋がっているものだろうか?
そもそも、宇宙は「無」から生まれたという事になっているが、
「無」つまり「宇宙が、まだ無い状態」から、宇宙が生まれる確率はほとんど0に近いほど奇跡的な事だったらしい。
例えば、毎日宝くじを買い続け、毎日当たり続ける事が数十年以上続くより、遥かに低い確率で、起きた事が「宇宙の誕生」であるらしい。つまり、宇宙は「存在する事」自体が、不自然な存在なのだ、そんな得体の知れない相手に「つじつま合わせ」みたいな理屈が通用するだろうか?
僕は、基本的に、科学を信用しているし
合理的である事を好む人間だが、
「綺麗過ぎる科学」と「合理的過ぎる合理性」は、眉唾物だと思っている
原因があって結果が、有る? 結果から見るから、そう見えるだけでしょ?「因果律」なんて幻想だと、僕は思う。
そんな結果論なんて、ちっとも「科学的」じゃ無い気がする。
そもそも、世界は偶然が奇跡的に重なった結果である事を暴いたのも科学だし、
奇跡を説明しようとする事は、決して科学的ではないと思う。
幼い頃、住んでいた家に、「屋根裏部屋」が有った。
父が日曜大工で屋根の下に簡単な床と、出入口を付けただけ.の単純な部屋だったが、
屋根裏という、非日常的な異空間は、子供心を大いにくすぐった
そこは、子供だった僕にとって最も近場の「脱日常的異空間」だった。
そこへ蛍光灯と数冊の本を持ち込み、そこで、読みながらコーヒーを啜るという困った子だった。
そこは、子供ながら、牛乳ではなく、コーヒーだった、TPOを踏まえた、変なガキだ。
まったく奇妙なガキである。
その変なガキは、当然変人に育ったか,というと、そうでもなく、僕は,わりと「普通の大人」だと自分では、思っている。
「宇宙は今、広がり続けているから、遡れば、爆発があっただろう」。
僕が、信用出来ないのは、こうゆう「理路整然とした、こ綺麗に整った科学」だ。
世界は、もっと混然とした、ヘンテコなモノだと思う
かつて、変なガキだった僕が変人に育たなかったように、原因~経過~結果と、そんなに綺麗に世界は、まとまっては、いないと僕は思うが、
やっぱり変人?
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