変わらない怖さと変わる怖さ

自分が事業をやりはじめてよく言われる言葉がある。

"自分の心地悪い場所にいれ"

人は自分の心地いい場所に戻ろうとする。

自分にとってそれは
友達とくだらないことでけらけら笑うことであり
SNSサーフィンすることであり
好きな人とひっきりなしにラインすることである。

そして、

パフォーマンス性の対価でなく時間の対価でお金をもらうことでもある。

今あげたすべてはやる前の自分もやった後の自分もなにも変わらない。

浪人時代、ずっと思っていたことは

”とにかく昨日より今日、今日より明日なにかしら成長した自分になる"

ことだった。

いまの自分の心地よいとするそれとは対照的である。

そのためにできなかった問題をしらみ潰しに解いた。本を読んでもっと広い視野を持つように努めた。

当時、自分が変わらないのが怖かった。

今でもそう。変わらない、つまり成長していない自分が怖い。

でも、当時と今で違うことは

変わるアクションを起こすことも怖い

ということだ。

当時はとにかく一人で黙々と勉強して本を読んでいれば、自分の大学受験というレールのもとでは成長する(=変わる)に該当していた。

でも、今はちがう。

自分のフィールドや人脈を広げること。

それが今の自分にとって"成長”として定義される。
でも、それが怖くて仕方ない。

知らない環境が自分のホームになるまでの時間。
知らない人が腹を割れるほどの友達になるまでの時間。

これが心地悪くて仕方ない。

不安

だから。

この人を信じていいのかな。
これやって意味があるのかな。
これをやったら自分は変われるのかな。

不安で押しつぶされそうになって、でも誰にも言えなくて葛藤してるときが本当につらい。

これが私にとっての変わる怖さ。

変わりたいって思ってるはずなのに
その対象に向けて走っている道中

自分が目指していたものと違ったら、
信じようと決めた人に裏切られたら

そのとき感じるであろう
心が傷つく状態に対する怖さに襲われる。

いま、私はまさにこの状態。

自分のパフォーマンスの対価として価値を得られる人間になりたい。
雇用者ではなく自分の市場価値で収入を得られるようになりたい。

そんな思いだけ独り歩きする。

でも、怖さに押しつぶされて心地いい行動に戻りたくなる。

いつになったら満足して安心できるピースプレイスにいられるかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?