優等生を目指さなくなった日
わたしは、小学校・中学校では
まさにThe 優等生だった。
小学校ではテストはほぼ100点。
通知表は体育以外はオール◎。
テストが100点じゃなかったら悔しがったし、
◯があったらどうして◯なのか
心当たりを全て考えた。
また、児童会長や学級委員長をつとめ、
クラスや全校生徒の前によく立った。
中学校でも同様。
学年5位以内には必ず入り、
生徒会長をつとめ生徒からも先生からも頼られる存在だったと思う。
だけど、今思うと
自分が行動したことが評価されて
信頼されていたのではないと思う。
小学校のときも、中学校のときも
評価されるために行動していた。
通知表を少しでも彩るためにはどうしたらいいか。
先生のご機嫌をどうしたらとれるか。
そのために、本当に必死だった。
夜遅くまで勉強して朝早く起きて勉強した。
先生に言われたことは、
全部正しいと思って実行した。
たまに先生によって言うことが違って
混乱することもあったけど、
先生によって行動を変えるようにしていた。
だけど、高校生になって
わたしは優等生ではなく劣等生になった。
地元の進学校に進学したわたしは
どれだけ頑張っても勉強についていけず、
学校の先生に”劣等生”として
レッテルを貼られるようになったからだ。
だけど、劣等生の称号を頂いたときは
ちょっと誇らしかった。
あぁもう背伸びしなくていい。
先生の目を気にする窮屈な空間から脱せれる。
結局、高校3年間は
ヤンキーに憧れる隠キャがヤンキーになれた
解放感のごとく
勉強はできなくても死ぬ気でやってたけど、
(そこはやっぱり真面目だった)
学校の先生の顔色を気にすることは
一切しなかった。
スカートはパンツが見えそうなくらい短かったし、意味がないと思った授業はよく寝た。
ただ、いい大学に行きたかったから、
相変わらず一生懸命勉強はした。
だから、
生活態度は本当に悪かったけど、
学習態度は悪くなかったと思う。
なのに、点数はあがりませんでした。
悔しかった。
何度も何度も問題を解き直して
時間をかけて考えて
なのにちょっと応用されると
全く手がつかなくなる。
進学校だから周りの友達はものすごくよくできるのにわたしはできなかった。
努力してるのに報われなくて
本当にどうしたらいいのかわからなかった。
そのときに、学校の先生に言われました。
“どうせ、お前には無理だ”
先生にとっては百何人いる生徒の1人かもしれないけど、わたしにとってはたった1回の人生。
無理だからってやめるわけにはいかないのに
急に放り投げられた。
涙が止まらなかった。
血がにじむ努力をしてる生徒に対して
いい大学を出て進学校で教鞭をとってる教師は
こんなこと言うんだ。
この教師は社会的に評価が高い。
頭がいい生徒からも慕われてた。
だけど、この人がいうことは正しいのかな。
もし、正しかったら
わたしはここでゲームオーバー。
そもそも優等生って、
文部科学省が提示した学習範囲を
徹底的に網羅していて
社会的評価の高い教師に生活態度が優良
と判断されれば、
“優等生”の称号を得られます。
たった10何年しか生きてない
中学生・高校生にとっては
何十年も生きてきた大人がいうことは
疑いなく正しい気がするし
それを疑わない人間が優等生になれる。
でも、理不尽な教師なんかごまんといるし、
あなたが今日受けたテストの範囲は
あなたの人生にどれだけ影響力を与えるかを
考えたら、全く勉強しなくていいとは言わないけど、かけるべき時間は変わると思う。
大学生になった今振り返ると、
言われたことを黙々と脳みそにコピーする
テストより部活に費やした時間の方が
よっぽど価値がある。
だけど、そんなこという教師はいない。
彼らもまた、職員室のなかでの評価を気にして生きてるんだから、
“常識的に正しい”言葉を並べるんだ。
そもそも、ひとりひとりが
目指していることも
大切にしているものも
今までの人生も違うんだから
もちろん”正しさ”も違う。
それなのに
教師っていう社会的立場にあぐらをかいて
自分の正しさが全てだというごとく
生徒を洗脳したり、
はたまた
生徒の正しさを否定したりする。
そう考えたら苛立ちが止まらなかった。
10代後半は80年の人生で
最もセンシティブな時期。
この時期に言われた言葉や得た考え方を基盤として、その後の人生の価値観が出来上がるのに、優等生を目指して、そんな教師にお気に入りになるために洗脳されるなんてごめんだ。
“お前にはどうせ無理だ”
お前にわたしの限界を決められる筋合いなんて
さらさらない。
あのときの悔しさ。涙。
絶対に忘れないし、
そんな奴らが提示した”正しさ”に合わせようなんて思わない。
大学3年になった今も
自分が正しいと疑わず、学生を洗脳したり、
染まらなければ否定する教授がいる。
ハッキリ言って、見てるだけでイタい。
50代、60代の
金槌でできたステレオタイプの脳みそに合わせてられるほど
この時代は腐ってない。
わたしは、わたしが評価した優等生になる。
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