中学の頃の恩師と4年ぶりに話して
4年ぶりに中学1年の担任をしてくださった先生とお話する機会があり、自分の考えを改めるきっかけとなったので、それを記録する。
①葛藤のすべてに意味がある
高校生活、大学受験、就活。人生における各々のフェーズで自分は大きな苦悩を抱えてきた。
お金の価値、時間の価値、人からの評価、孤独、家族の在り方、感情のコントロール、否定されること、挑戦の意義etc
自分の苦悩をキーワードであげるのであれば、多岐にわたる。今はもう割り切れたものもあれば、今だに引きずっているものもある。
苦悩を生み出した自分の過去に意味があるのか。
それがなければもっと楽に生きれたのに。
自分は今までの苦い経験を負債と捉えていた。これらを清算するためにどうしたらいいか抗っていた気がする。
だけど、先生はその負債を
「いいじゃん。それがあったからまた見える世界を広げられたのだから」
と肯定してくれた。
それは自分にとって負債だと思っていたものは資産なんだと気持ちが軽くなるきっかけになった。
②自己肯定感の低さは機会損失につながっている
わたしは誰がなにを言ったわけでもないのに、急に怯えることがある。
自発的に起こしたアクションが他者は否定的に捉えているのではないか。そんな恐怖に急に駆られて、行動が消極的になる。
大胆な行動をしたら嫌われる。
そんな怖さを自分は持っていた。
しかし、先生と話してその感情を改めて言語化するとそれは大きな機会損失だなと思うようになった。いま、自分が掲げる目標に向けて大きく成長できる環境に身を置かせていただいている。だけど、自分が勝手に生み出した負の先入観から行動をセーブしていることが少なからずあるのではないか。
それは機会を与えてくれている方に申し訳ない。
別に人格否定されているわけじゃない。
事業をやっていたときにも思ったことだが、もっと一つ一つのアクションのフットワークを軽くしたい。アクションを起こすときのベクトルを正の方向へ変える。そしたら見える世界もかわる。それは今より明るいと思う。
③結局、ひとなんかわからない
自分は親、教師含め人の評価を気にして10代を生きてきた。行動の主軸が他人だった。でも結局本心でない行動をしたところで追い込まれるのは自分。
人になにを求められているのかを自分が見えている世界から推測しようとするなんてナンセンスだ。自分の想定しないことが人のエネルギーになることも逆に傷つけることも往々にしてある。他者から自分に対してもそうだ。この観点はマーケにおいてもいえるなって思った。だから、人の価値の多様性をもっと大きく捉えようと思った。
以上。
総じていえることは
自分の先入観ごときで行動の範囲を狭めるなんて機会損失も甚だしい。
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