【哲学】人間はまるで家畜のように決められた範囲で生きているということ
総合的な思考基盤を養うことをテーマに、読書した知識を引用・解説していくnote。
本日の哲学用語紹介は「構造主義」、wikiによると以下のように説明される。
つまり、偶然性よりも必然性、決まった型を重視する考え方ということである。
哲学的な理解をすると、人間は、何らかの社会構造(決まった型)に支配されており、決して自由に物事を判断しているわけではない、ということ。
人間が自由意志を以て選択できているか否か、は哲学において中心的な議題の一つであるが、その”否”の意見を支持するのがこの概念である。
━━━いやいや、好きな時に好きなことするよ?私は
と思った読者は少し待ってほしい、確かにのどが渇いたから水を飲む、ストレスが溜まってるからサウナに行く、というミクロな意思決定のことではない。
この構造主義の言及はもっと深層的な所にある。それについてフランス文学者内田樹は以下のように説明する。
例えば、社会的レッテルなどがそれにあたる。会社で役職を持っている人間は、プライベートでもある一定数その威厳を保とうとするし、警官として勤務する人間は、そうでない人間よりも幾らか善の心を持つ割合が多いのではないだろうか。━━━警官が休暇中に万引き犯を逮捕!とかね
つまり、大きな本来選択できる枠があり、そのうちの一部が実際に選択できる範囲だ、ということ。
意識的であれ、無意識的であれ、選択を抑制してしまっているということである。
この議論でよく取り上げられる有名な心理実験を引用しよう。スタンフォード監獄実験である。━━━如何にも怪しそうな名前だ..
この実験は無差別に大学生(本当に普通の)を18人選出して、看守と囚人に分けて2週間牢獄生活をそれぞれ演じるというもの。
すると、看守は━━━役にあてはまるかのように━━━徐々に暴力性を増していき権力を乱用するようになったと報告されている。
これが本当だとすると、まさしく社会的なレッテルに精神と行動が癒着してしまうことが立証されたことになる。━━━ただこれは近年別の実験で真偽が問われているので認識しておきたい。((やっぱり怪しかったか))
人が、自由意志で選択しておらず、属している組織・環境に選択権を依存し得るのであれば、われわれが本当に自由な思考をしているというのはあり得ないのかもしれない。
━━━FIN
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