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体を抱いても心は抱けない

結婚したカップルの3組に1組が離婚すると言われています。
なぜこんなにも多くの人たちが離婚してしまうのでしょうか。
そもそもなぜ人は結婚するのでしょうか。
少し大胆なタイトルですが、お付き合い下さい。

なぜ結婚するのか

そもそもなぜ人間は結婚するのでしょうか。
太古の昔から人は結婚することで家庭を築き、次の世代へとバトンを渡すことで今日まで歴史を紡いできました。
ここで結婚というのは、社会契約を意味しています。
二人の人がお互いに約束を交わし、一つの家族を形成するためのプロセスであり、社会的動物である人間のみが行う行為です。

その証拠に人間を除く動物は結婚しません。
群れを形成して集団で生活することはありますが、別に約束をしているわけではありません。
子供を産むことが出来る雌が強い雄と交尾をし、子供を守りながら共に生活しているだけです。
子孫を残し、種の繁栄のために遺伝子に刻まれた本能に従って生きているのが動物です。
より効率的に子孫を残すために一夫多妻制を採用していたり、交尾の後に雄が捕食されることで出産に必要なエネルギーを供給するといった工夫がみられます。

結婚は、人間と他の動物を区別する重要なアイデンティティと言っても差し支えありません。
ただ単純に本能に従って子供を産むのではなく、個体同士のみならず親族を含めた社会的関係性を重視した結果、契約という形でお互いに関係を保証しあっているのです。
一部例外の国や地域がありますが、基本的に人間が持ち合わせている倫理観では一夫一妻制をよしとしており、これを保証する仕組みが必要なのです。
不倫は契約に違反する行為であるため、ペナルティが課されるのです。

なぜ付き合うのか

人はある一定期間の交際期間を経て結婚へと移行します。
期間は人それぞれ異なりますが、大きな契約である結婚をするための判断材料として設けられています。
この付き合うという行為も少し砕けた形の契約といえます。
なので結婚と同様に、浮気をすると契約違反として集団から糾弾される可能性があります。

契約の目的

交際にしろ結婚にしろ、お互いの同意のうえで結ぶ契約であるので、一定の拘束力をもちます。
人間だけが契約を結ぶということは、この拘束力を必要としているためであるといえます。
それでは、この拘束力によって何を保護しているのでしょうか。

それは、母親と乳児の保護です。
人間は他の動物と比べて、非常に未熟な状態で生まれます。
他の哺乳類の多くが生まれてすぐに歩行できますが、人間の乳児が歩けるようになるには1年以上かかります。
その間母親は24時間つきっきりで全てのお世話をしなければなりません。

出産してしまえば餌の用意など、比較的手間がかからない他の動物に比べて、人間の乳児にかかるリソースは膨大です。
母親は自分の世話すらままならず、他者の援助が必須になります。
そのときに、父親からの経済的、身体的援助を保証するために導入されたのが、結婚という契約なのです。

結婚は女性を保護するためのもの

社会的な観点はさておき、動物的な観点からすると結婚は男性のためのものではありません。
女性を保護するためのものです。
一年近く胎に子供を宿し、命懸けで出産をし、その後も長い間子育てに従事しなければならない女性に比べて、男性は毎日でも性交渉が可能です。
生殖に関して非常に弱い立場である女性を保護することが結婚の一番の目的です。

このように考えると、男性にとって結婚は性交渉という子孫を残す機会を制限する契約にも見えてきます。
女性が妊娠している間、別の女性と性交渉すればあらたに子孫を増やすことが出来ます。
実際に、動物の雄はいつでも交尾の機会を虎視眈々と狙っています。
しかし、これは非常に短期的なものの見方であり、動物的本能によるものです。

人間と動物の明確な違いは、結婚という契約にあると先に述べました。
言い換えると、物事を長期的目線で考えられるのが人間であり、動物は非常に短期的な目線でしか考えられないのです。
人間は社会性と動物的本能を持ち合わせたハイブリッドです。
動物的本能から来る性行為への欲求を、社会性によって押さえ込んでいます。
この相反する特性が常にせめぎ合っているのです。

心を抱きたいという社会的欲求

これまで子孫を残す動物としての本能について考えてきました。
本能的に女性が結婚を望むのは当たり前のことです。
しかし、実際には男性も結婚を望んでいます。
むしろプロポーズは男性側からするものと相場が決まっています。
一方的に男性の行動を制限する契約である結婚を男性自ら提案するというのは、どういうことでしょうか。

それは社会的動物である人間として、心を抱きたいと思うからです。
性行為で得られるドーパミンという快楽物質だけではなく、一人の人間として一人の異性に認められ、必要とされることに対する社会的欲求が働いているのです。
一定の金銭を支払えば誰でも性行為が出来ますが、これは単純に体を抱いているのであって、心まで抱くことは出来ません。
かけがえのない一人の存在として必要とされること、これは人間にとって非常に重要な欲求です。
詳しくはマズローの欲求階層説を参照してください。

結婚しても心は抱けない

人間が動物的本能と社会的欲求を同時に持ち合わせていることが、状況を複雑にしているのです。
よくある勘違いが、結婚すれば心も抱ける、必要としてもらえるという大きな間違いです。

たしかに金銭的、身体的な援助の必要は結婚によって満たすことが出来ます。
しかし子育てに必要なことは満たされても、社会的欲求、言い換えれば愛情を感じることが出来なければ虚しく感じてしまうのです。
これが離婚に繋がる原因です。

逆に、心を抱きたいのであれば結婚は必要ありません。
社会的欲求を満たすことと、男性の性行為を制限する契約は全く別の話です。
女性から求められたい、愛情を必要としているのであれば、まずは見返りを求めずに与える側であるべきです。
自分が何かを求めるとき、ベクトルは自分に向いており、他者が何を望むかは目に入りません。
一旦自分のことは置いておいて、他者にベクトルを向けることで、何が必要とされているか、自分には何が提供できるか考えることができます。

与えることは、得るための第一歩です。

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