性教育に革命を
日本は性教育が遅れていると言う。
娯楽メディアにも顕著に現れるその遅れ。
壁に手をつけ女性が逃げられない状態でキスを迫る事が壁ドンだともてはやされる国。最近では某リアリティショーで女性に無理やりキスをしたワンシーンを、コメンテーターのタレント達が「男らしい」と褒めそやしていた事は記憶に新しい。
かたや一方、私が日課として観ている海外ドラマでは、ティーン同士が性行為どころかキスの段階でお互いにコンセンサスを取っていた。
同意という言葉をまるで知らない日本の性教育。
つい先日、私はその性教育を受けて育った事の代償を長い時間をかけ払っていたのだと気付くちょっとしたアハ体験をした。
自分の裸をまじまじと見つめる。自分の身体についておきながら見つめる事などほとんど無かったパーツ達。それらをひとつひとつ眺めていく。
教科書に載っていた女性の身体などうろ覚えでしかなかった。
となると私の知っている女体は温泉で出会う見知らぬ女性の身体となるけれども、もちろんまじまじと見た事など一度も無い。
となれば女性用アダルトコンテンツに出てくる女性の身体だけが私の唯一知っている女体だった。
大抵の場合綺麗だなあと思うほど容姿端麗の演者達。何も知らない私の中で、女体のスタンダードは完璧なまでに美しい彼女達の身体だった。
ましてや自分とは違う身体的構造を持っている男性ともなれば、彼らにとってのスタンダードが''完璧なまでに美しい彼女達の身体''である事に無理は無いと思う。
そこで湧き上がるのは、私の身体は普通なのだろうかという疑問だった。
答え合わせをしようにも、私の手持ちは完璧だとされるその答え一つのみ。その回答と答え合わせをしようとすると、大なり小なり、程度の差はあれど多少なりともズレが出てきてしまうのだ。
果たしてズレのある私の身体は女性の身体として不正解なのだろうか。間違いだと赤ペンではねられてしまうのだろうか。
一度気になった疑問は寝ても覚めても頭から離れない。こうして私はネットの海へと漕ぎ出したのだった。
医学的かつ専門的な知識を求めていた私が辿り着いたのは、不安を煽るような整形外科の岸か、その身体的特徴のズレがフェチとして扱われているアダルトコンテンツの岸だった。
不安を煽られ身体にメスを入れるか、フェチとして扱われている事でやはり自分の身体は正解では無かったのだと焦燥感に駆られるか。
正しい性教育を受けてこなかった者にこの海を正しく渡り切る事など不可能だった。
それでも一度漕ぎ出したこの船を何処にも停めない訳にはいかない。最後の悪足掻きに、と私は英語で検索をかけた。
そこに広がっていたのはこれまでとは全くもって異なる景色だった。
女性の身体について医学的に説明をしているもの、女性の身体を消費しようという悪意の無いものばかりがそこにはあった。
あるメディアでは、女性の身体を可愛らしいイラストにして取り上げていた。その数は暫く画面をスクロールしなくてはならない程で、実際にその女性器のイラストモチーフとなった身体の持ち主のコメントも添えられていた。
''それは異常でも変でも無い。誰かの声で自分の身体を愛せなくなってしまう事の無いように。自分の身体も自分の事ももっと愛していこうね。''
という強く優しいメッセージの数々。
私の身体は統計学的にも普通なのだと肩を撫で下ろす一方で、そもそも私達の身体に普通など無い事、そんな当たり前の事すら疑えない程の知識しか享受出来ない日本の性教育の障害を考えた。
飲み会では胸のサイズを聞かれる。あなたに彼女の事をまな板だと笑う資格など無いのに。
胸のサイズに悩み豊胸手術を受ける人は後を絶たない。
下の毛の処理はどうしたら良い?
「アンダーヘア 男子ウケ」で検索をかけて得られる情報を真に受ける。
もう一度思い出させて欲しいよ。
そもそもこれって誰の身体だっけ?
例えば私の身体やあなたの身体が誰かの思うスタンダードとは違っていたとしても、それを理由に私達の意図に反する形で消費したり傷付けたりする様な人とは距離を取って良い。
なぜなら私達の身体に正解なんてものは存在しないから。何よりこれは私達の身体で、誰がとやかく言う事など許されない私達だけのお城だから。
この大きさもこの色もこの触り心地も、お気に召さないのであれば黙って回れ右をしてください。
私はこの身体を愛でて生きてゆくからさ。
ちょっとした備忘録。
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