夏草のひとりごと #22 ロジカル・チェーン・パス
会社を始めとして集団で何かを決定するときに、どうも内容が掴み切れない話し方をする人がいる。
一度目で分からなければ、「申し訳ないですがもう一度いいですか?」と尋ね返すことになるのはよくあるだろう。
しかし、いくら聞いても分からないかも……となると絶望が生まれる。
だが分からないまま適当に決定した内容を実施するのはリスクが高い。
叱責で済めばよいが、人・物・金すべておじゃん、となってしまうだろう。
そこで「すみません、もう少し噛み砕いていただいても……」などと尋ね返す人が多い。
僕はこのアプローチ、不適切だと思っている。
理由は明白で、内容が掴み切れないときは大抵その話の論理の鎖が欠けているからである。
論理の鎖というワードは大有名著書・理科系作文の技術で登場している。
全く難しい概念ではなく、
ある事象には、必ずそれが起きた一連の流れがある訳で、
A→B→C→D 、すなわち 〇〇と言える。
といった具合に説明する必要がある。
掴めない話をしてしまう人はこの例えのBなり、Cなりが抜けているのだ。
するとこういう意見が出る。
「自明であるような内容をいちいち説明していられない」
それは僕も同意だ。
でも、そう主張しつつ話がうまくいない人は恐らく、やはり間を抜いてしまっているのだ。
自明である内容を抜くのであれば、
A→B→C→D のうち、A→Bをカットする、といった形にするべきである。
当たり前のことは説明を省く ≠ 途中の情報を抜く ではない。
例えば僕が話してる話題で、僕の身の回りに起きている話を誰かにしているとする。話題の登場人物は数人だとしよう。
僕の中では僕視点で起きたことだから、常に主語は僕であるという、自明の理があるとする。
だからといって主語を省いてしまうと、聞いている側からしたら登場人物は複数いるから混乱を招くのだ。
この現象を僕はロジカル・チェーン・パス(論理の鎖の省略)と密かに呼んでいる……。
何故わざわざ名前を付けたのかというと、最近そういう話がよく分からない人をなんでもサイコパスと呼ぶようになったからだ。
(要するに俗語で言えば「あたおか-あたまおかしいの略」的な)
大抵のことは長いままに大衆に合わせて話す方が良いと思うし、生きた言葉になると思っているが流石にこれはいただけない。
何より解決にならない。ゴミは全部燃えるから燃えるゴミ、くらい乱暴である。
流行らせる気もないし、恐らくうまく話せない人は何故うまく話せないかと考えるタイプじゃないと薄々思っているので目にも届かないかもと思っているが……まあ、言わせてくれ。