
夏草のひとりごと #21 人生はゲームですか?
「あなたにとって人生はゲームなんですか?」
と、知人に会話の流れで言われたことがある。
なかなかな言い草にみえるが、当時の会話の流れを思い起こして、嫌味的な形で言われた訳では無い。
僕は「そうかもね」と答えた。
概ね間違っていない。
しかし、機械的に完全にそうともすぐに答えられなかった。
そこでまずはゲームの語源を簡単に検索してみた。
game (n.)
約1200年頃、古英語のgamen「喜び、楽しみ;ゲーム、娯楽」から来ています。これは共通ゲルマン語に見られる(類似語:古フリジア語のgame「喜び、ばか騒ぎ」、古ノルウェー語のgaman「ゲーム、スポーツ;楽しみ、娯楽」、古サクソン語のgaman、古高ドイツ語のgaman「スポーツ、陽気」、デンマーク語のgamen、スウェーデン語のgamman「陽気」)、そしてゴート語のgaman「参加、共有」と言われており、Proto-Germanic(原始ゲルマン語)の*ga-(集合を意味する接頭辞)と*mann(「人」を意味する語)が合わさったもので、「人々が一緒にいること」を意味します。
なるほど、名詞的言えば娯楽か。
じゃあ、やっぱりそれで合ってるなと腑に落ちてしまった。
人生はゲーム、すなわち娯楽。
楽しくなければ意味がない、あるいは生きるモチベが上がらないというのが僕の価値観の一つだ。
こういう物言いだと、「なんだか楽観的で人生の難しさを理解できていないのでは?」という発想が出そうだ。
しかし、こう解釈してはどうだろうか。
・人生には楽しいことも辛いこともある
・人生は娯楽として過ごしても良い
前者は事実を述べている。
生きていれば、楽しいことだけではなく、辛いこともあるよ、と。
後者は過ごし方≒各人に委ねられた自由なマインドを指す。
恐らくゲームとして捉えられず、頭の中が重たい人は、
人生は楽しいことと辛いことを許容して過ごさねばならない
というマインドがあり、事実と考えが融合しているのかもしれない。
今では当たり前に普及して遊ばれる人生ゲーム。
プレイ中に理不尽なコマに止まっても、俯瞰してボードを見ている我々は今後のサイコロ次第では如何様にも事態は変化していくことが分かるだろう。
また、最終的に負けてもいちいち本気で怒る人もいないだろう。
ちくしょーとか、惜しかったなあとか。
それくらいの気持ちで生きたらいかがだろうか?
……まあ、何故本気で怒らないかって2週目でも辞めるのも自由だからであって、それが分からないから不安なんだよね。ハハハ。