青少年のための小説入門・登さん論
青少年のための小説入門の登さんが、大好きです。それは多分、登さんの義経的な形質が、私の中の判官贔屓的な遺伝子にヒットするためである。
登さんはカリスマである。登さんは、換骨奪胎という一芸に秀でており、喧嘩では負け知らずで、ディスレクシアという障害のために文字が読めないのに、突然小説家を志したりする。ある意味、常識はない。斬新と言ってもいい。ちょうど、義経が戦のカリスマであり、名誉よりも軍積を追い求めるように、彼がストイックに小説道を極めていくところが、登場人物や読者を圧倒するのである。
そして、彼は生粋の負けず嫌いでもある。義経は体格が小さかったというが、登さんにはディスレクシアというハンデがある。それに負けじと敵に殴り込んでいく。そこが、両者の魅力である。
これは、日本人が好きなタイプのキャラクターだ。登さんは決して正義の味方ではない。暴力的で向こう見ずな、ヤンキーの典型な面もある。しかし、彼がヤンキーになっているのはディスレクシアという障害のせいで、アウトローか被保護者になるしか選択肢はなく、その上で「借りは作らねぇ」と決めているという事情があってに他ならない。日本人は訳ありな悪人に敏感に反応する。ハンデを負いながらも斬新さと頭の良さ、喧嘩のセンスを武器に戦い抜く若者、誰がこんな登さんに憧れを抱かずにいられようか。少なくとも若い世代は一度は憧れてしまうタイプに違いない。
義経との共通点は、それだけではない。両者共に、悲劇のヒーローでもある。義経がその一生を僅か31才で激しく終えたように、登さんもまた、作品が始まる時系列では決して長くはない一生を終えている。そうすると、登さんを好きになればなるほどに私達読者の気持ちには悲壮感が兆す。もう語らぬヒーローは、在りし日の背中だけをこちらに向けて去るのである。こんなに悲しく、力強く、美しいエンディングは、他に類を見ないのではないか。
登さんのかっこ良さは、語られない人生の方が長いことにある。その間、失われなかったバディである一真くんへの思いが、在りし日の登さんを純粋に際立たせるバックミュージックになっている。
美しく力強い部分だけを切り取られた、永遠の青年であるからこそ、登さんは惹かれる存在なのである。