おふざけ文書

対談・魚を斬る

インタビュアー、裏鬼十郎


えー、本日は、純文学とBLを掛け持ちする作家、魚さんにお越しいただいております。魚さん、始めに何か言っておきたいことはありますか?

そうですね、裏さんは私の先輩に当たる人で、男リョナの先人ですから、話の共通項も多いのではないかと思います。今日は、よろしくお願いします。

ー心の中にいつも玄がある。それが、純文学的でドライな作風のもと


魚さんが幼少期に読んでいた本って、僕としては非常に気になるんですが。

サザエさんを読んでいる子供でした。サザエさんって、原作は以外とドライなところもあって、それが、「七つの大罪」とかには影響している気がします。

魚さんは、あれは、聖書とかアラビアンナイトの影響だとも話されていた気がしますが、サザエさんもバックにあるんですね。

聞き手からしたら意外でしょうね。原作のサザエさんは、ドライなところも多いですよ。意外な展開と言う点では、サザエさんも参考になってます。とにかく、インプットをたくさんしていて。

で、インプットをたくさんした結果、十八才の時に、「吸血鬼と下僕」を、誰に見せるでもなくアウトプットしていたと。

話がずれますが、吸血鬼と下僕が処女作ではありますね。

でも十四才の頃から、絵は描いてましたよね。

はい。吸血鬼が下僕の血を吸おうと押し倒してるやつを何枚も描いていました。今思えばBLの始まりでしたね。でも、エロチックな方向に行けずにリョナになっちゃいました笑

当時はエロはなかなかハードルが高かったんでしょうね笑 見るのと作るのは違いますからね。拙作の話で恐縮ですが、僕も人間同士のエロは書いていないです。

そうなんですね。私は、文学少女だったので、エロではない何かを求めてしまうんですよね。玄みたいなもの。最近は、玄を感じる作品の模写をしたり、その人が書きそうな作品を書いたりしています。

ああー、それで「郷愁」や「神の真似事」ができたわけですね。

そう、裏さんの模倣から円城塔さんの模倣に鞍替えしてしまいました笑

ひでぇ笑
でも、ほんとの意味で物書きになりたかったらたくさんの人の真似をしないとね。

でも、未だに私の小説は玄の境地からは程遠くて。書くのが嫌になっちゃう日もあるんですよね、前向きに書いていれば何かしらはできるはずなのに。

まあ、万能じゃあないですからね、作家は。一つ誉めるとしたら、郷愁も神の真似事も、詩情があって僕は割と好きですよ。

詩も書かれていた裏さんの評価なら間違いない笑
裏さんの詩は間違いなく谷川俊太郎の影響を受けていて、私も恐らくその影響を受けています。

そうね。例えば、神の真似事で、ラスト急にポーンと南洋風景が広がっちゃうとことか。

玄ってなんだろう?って考えるんですけど、高雅に飛躍して、イメージの翼で飛ぶことじゃないかと思いますね。

カフカ変奏曲を書いた時は、ちょっと玄がわかった気分でした。これは、魚さんも共作してくれたけど、どういう気分だったの魚さんは。

透明な自分になった気分でした。

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