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火種の人
火起こしはむずかしい。
新聞紙にマッチで火をつけて、細い枯れ枝に移す。酸素を送りながら、慎重に。無事に枝に火がついたら、その日を絶やさぬように気をつけながら、太めの枝や薪をくべていく。酸素が通るように、三角形をイメージしてくべるのだけれど、まあ、なかなかどうしてうまくいかない。そもそも、細枝に火を移すまでが困難なのだ。
苦労して火を起こしてしまうと、あとは容易に広がっていく。小さくなってきても、炭化しつつある薪に新たな薪をくべるだけでいい。じりじりと熱が移っていき、ぼっ、と発火する。
◇
この人に会うと、熱くなる。そう感じる人が何人かいる。
何もみんながみんな熱血なわけではない。むしろ、沸々と小さく泡立つ程度の熱量の人のほうが多い気すらする。
それなのに、会うとふつふつふつっと熱される。そうして、ぼっ、と火がつくのだ。
ぼんやり何かしたいなあと思っていたことがくっきり見えたり、道すじが見えずに頓挫していたことにもう一度取り組みたくなったり。
何でなんだろなあ。
この「火種になり得る人」が、場やプロジェクトの中心にいると場が持続すると感じる。空中分解することは珍しいことじゃないけれど、火種の人がいると防げる可能性が高まる気がするのだ。個人的な感覚だけれど。でも、熱をもらって発火しているのはわたしだけじゃなさそうだから、あながち間違ってはいないんじゃないだろうか。
火種の人は、燃え尽きるまでが長いのだろう。じわじわ、ぶすぶす、消えかかりながらも、消えない。でも、というか、だから、というか、火種の人だけでも物事は盛り上がらないんじゃないかとも思う。新しい薪がときどきくべられないと、火はいつか消えてしまうから。
わたしは火種にはなれないと思っている。だけど、新しい薪の一本であれたらな。燃え出した炎を絶やさぬよう、ときどき火種の人に会いたい。
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